読書は成長に欠かせないのだけれども
(2020.6.03 修正)
教育界は、かつて無いほどの大量新採用時代に突入したにもかかわらず、人気がなくて、倍率が北海道で1.2倍、東京は1.4倍、全国平均でも3.4倍と聞いています(聞いた話なので確認はしてませんが)。
これも聞いた話で申し訳ないのですが、倍率が3倍を下回ると、教育界全体では少しまずいことが色々と起こるようです。
ということで、人材育成っていうのが、急務だ!ということになっているそうです。
人材育成って、難しいです。
私の今のところの見解としては、人を育てることはできなくて、人は勝手に育つのです。だから、育つ環境を用意したり、コミュニケーションを取りながら伝えたりなんてことになるのですが、あくまで受け取り側が自分の意志で受け取るのですから、勝手に育つのです。
それで、人が育つ時に読書というものが有効になってくるというか、それが王道であるというのが私の認識なのですが、最近の若者事情が知りたくて、同僚に聞いてみました。
本を読むの?
「○○先生は、読書ってするの? 専門書みたいなの。」
「いやあ~、ほとんど読まないですね。」
少し申し訳ないような言い方だったので
「責めてるんじゃないんだよ。ただ、若者事情が知りたくて聞いているだけだから。」
と、話しやすい雰囲気を作ると、さらに貴重な情報が得られました。
「読書って、した方が良いんですか?」
「・・・・・ど、どうしてそう思うの?」
「読書って、色んなことが書いてあるじゃないですか。だから、読んでたら訳が分からなくなってしまうんじゃないかって思うんです。」
「・・・・・・」
「あれっ、なんか違いました?」
「いや、そう思うってことが分かったから、勉強になったよ。」
と、伝えたのですが、せっかく教えてもらったので、お礼に私からも教えます。
「じゃあ、お礼に良いことを教えるね。読書はねえ、した方が良いって、昔から決まってるし、力のある教師はほとんど読んでいるよ。」
「そうですか。読むようにします。」
と終わりました。
読書は会話
昔、有名な先生の講演会に行ったとき、「読書は会話です。」と教わりました。どうも、本に書かれていると、とても崇高な考えのように見えるけど、そんなことはなくて、その本を書いたのも人間だから、「なるほどな」とか「そうかな」とか「ちがうんじゃないか」みたいに、自分の考えをもって読むと良いよってことです。
数年前のことになりますが、ベテランの先生が嘆いていました。
若手の教員を注意すると、「本にこうやって書いてあったから間違ってません」と言って、ベテランの意見を聞かないって。
これはね、本を信用してるってことですけど、自分の頭で考えていないんです。
だから、読書で会話をしているのではなく、本に言いくるめられているだけです。
まあ、数年前の若手は、まだ本を読んでいるだけ良いとしましょう。
いずれ、対話することを期待しています。
さて、いよいよ今回私が言いたい本題に入ります。
読書で対話をしていた私は、そのうち、本に自分の考えや感想などを書き込むようになりました。そうすると、何年か経ってから読み返したら、面白いだろうなあ~と思って。すると、本には書き込むスペースがあまり無いことに気付きます。
ある日、スペースがたくさんあるスカスカに構成されている本を読んでいました。
こういうスカスカじゃなくて、もっとびっしり書いてよ~なんて思っていたのですが、書き込む時に、とても書きやすいことに気付いたのです。
「そうか! 余白たっぷりな本は、対話をしたがってるんだ!」
勝手に思っただけなのですが、書き込むという視点から見ると、なかなか良い本になります。もし昔からこれをやっていたら、10年前の自分の考えなんかにも触れられたかもしれません。