(2020.6.06 加筆・修正)
2019年9月某日。もうすぐマラソン記録会があるので、体育の授業で練習をしましたら、上位の子たちは息を切らせ汗を流してゴールするのに対し、下位の子たちは、おしゃべりを楽しみながら散歩し、ゴール付近になると一斉にダッシュする様子が見られました。マラソン練習を始めると、毎年恒例の出来事です。
先にゴールした子たちは「がんばれー」とか「がんばったね」なんて応援しています。優しいですね。・・・・うん?、本当に優しいかな?
当然ですが、私は説教を選択します。
「全員ではないけど、ひどい状態だ。マラソンというのは散歩とは明らかに違う。遅いから叱っているのではないのだぞ。遅くても一生懸命な人はいるんだ。だけど、先生が叱っているのは、走れるのに走らない子だ。君たちはなんなんだ!」
とまあ、こんな具合です。
これ、優しいんです。だって、次の回からは、みんな目の色を変えて走り、清々しい汗を流すのですから。 ※結果タイムは遅くてもかまいません。
優しいとは
優しいというのは、様々なご意見があるでしょうけど、私個人の考えとしては、全く叱らない、褒めてばかりの先生ではないということです。
もちろん、それでうまくいけば良いのですが、できればそうありたいのですが、そうはならないというのが現実です。
子ども達は、シャキッとしたいときや、叱られたいときもあります。
全体がシャキッとすればがんばれるという子もいます。
そして、一生懸命取り組めたら自分の事が好きになれます。
「君たちの事が憎くて言っているのでないんだよ。君たちの事が好きだから、言ってるんだぞ!」
こういうことを伝えると、子ども達はシャキッとします。過ぎ去った出来事は許します。次に生かせれば良いだけですから。
優しさとは、「許す」こと。
優しさとは、「厳しさ」。
優しさとは、「今を大切にさせる力」。
言いたくなくても、言わなければならない時には躊躇せずに言う。
言いたくても、言わない方が良いときは我慢して言わない。
いつも、子ども達の未来を願い、
いつも、何がベストかを自問自答し、
いつも、子ども達と共に楽しめる。
そういう先生を「優しい先生」と言うのです。
優しいという概念は、実はかなり難しいです。関連して書いた記事を貼り付けておきました。優しさについてもっと考えてみたい人は、読んでみてください。私個人の意見ですが、参考になることがあるかと思います。