Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

元気がない子ども

元気がない子

(2020.6.12 修正)
 学級の子どもの元気がないということはよくあります。元気のないのには必ず理由がありますから、深く追求していくと、少々ややこしい問題になってしまいます。

 今回は、そんなややこしいことは、そっと横に置いておいて、とりあえず一時的にでも元気にする方法をお裾分けします。

 

元気がない子を見つけたら、静観してはいけない。

 先日、たまたま2年生教室前を通ったら、楽しげな声が聞こえてきたので、ミニ授業参観してみました。算数の授業で、小さなブロックを使ってのかけ算のお勉強です。こういう実物を使うと、子ども達は楽しむんですよね。

 

 いいねえ、いいねえと思って見てましたら、後ろの方で机にうっぷしている男の子を発見しました。寝ているわけではなさそうです。みんなが楽しんでいるのに、一人だけうっぷしているので、何でだろう・・・と思って近くに寄ってみました。

 

 近くに行くと、起き上がるかな?と思ったのですが、まったく無反応です。

 目は開いているのですが、瞬きが少ない・・・・。

 なんだかトロンと目が開いているだけです。

 表情も悪いので、具合でも悪いのかな?と思って

「どうした? 具合でも悪いのかい?」

と聞いてみましたが、首を振るだけです。

 おでこに手を当ててみたけど、熱もないようです。

 

 隣に女の子が座っているので、ちょっとリサーチ。

「この子は、いつもこうやってるの?」

「ううん。いつもはちゃんとやってるよ。」

「そうか、いつもはちゃんとやってるけど、今日はたまたまこうなんだね?」

「うーん、よくわかんない。」

 

 また男の子に聞きます。

「君は、いつもはちゃんとやってるけど、今日はやる気が起きないのだね。」

と、いつもはちゃんとできているというところを強調しながら聞くと

私がなかなかその場から離れないのを気にしてか、少し起き上がり、首を縦に振りました。

 

 少し問答をしていたら、担任の先生も近くに来たので、担任の先生にも聞いてみたら、少しお腹が痛いと訴えていたことや、いつもはきちんとしている事が判明しました。では、本当に体調が悪いという可能性があります。

 

 それで、今朝食べたものとか、昨夜食べたものとか、どれぐらい痛いのかとか、一通りの事を質問しました。

 

 結果、分かった事は「本当は、たいしてお腹は痛くない」という事実と、

 やる気が「今は」ないのだという現象が起きているということです。

  

 さて、どうしましょう。

 風邪とか病気ではなく、元気がでないということですから、気持ちの問題です。

 

「とりあえず、保健室で休んできたらいいんじゃない? 少し寝ておいで。ここにいても勉強できないなら、仕方ないでしょう。」

 と勧めて終了しました。

 その後、保健室に行ったかどうか、ちょっと確認していませんが、雰囲気から言って行かなかったでしょう。

 後は担任に任せて、私は教室を出ました。 

 

 給食を挟んで、5時間目。2年生は、グラウンドで体育の授業です。

 少し寒い中、私がグラウンドにいくと、子ども達が集まってきて整列します。その中に、ひときわ目がキラキラしている少年が私に猛烈アピールをしてきました。ほんの少し前に、机にうっぷしていた男の子です。

 「せんせー、もう、元気になったー!」

 と、手まで振って猛烈アピールです。

 「そっかー、元気になって、良かったね!」

 「うん、元気になった!」

 と言って、その日の体育は、本当にいつもより元気に動いていました。 

 

 

 前にも同じような記事を書きましたが、こういうことは本当によくあります。

 声をかけたら元気になるのです。

 少年に何があったかは知りません。

 しかし、元気がないなら、なにか必ずその理由があるのです

 それが風邪や食中毒やけが、家での寝不足でないなら、

 気持ちの問題です。つまり、心の問題です。

 

 心の問題でやってはいけないのは、「静観」です。

 時と場合によっては、「静観」する必要があることもありますが、それは「見守る」ということで、「見放す」とは全く違います。少し難しい話なので、「見守る」と「見放す」については今は省略します。

 

 

 静観するのではなく、傍観するのでもなく、プチ面接のような感じで接するのです。

 そうすると「僕は大切にされているんだ」と感じられるようになり、子どもは無意識ですが、なんだか自然と元気になるのです。

 

 

 マザーテレサさんの名言を紹介します。

「人間にとって、もっとも悲しむべき事は、病気でも貧乏でもない。自分はこの世に不要な人間なのだと思い込むことだ。」

 

  少年が「自分はこの世に不要な人間なのだ」とまで思ってうっぷしていたわけではないので、今回の事例に対する名言としては、少し大げさですが、原理は同じです。

「大切にされた、必要とされた、(究極的には)愛された」と、実感できると元気になります。 

 

 ですから、愛のある教室にするなら、状況にもよりますが、「静観」は「見放し」の要素が強い場合は、絶対にやってはいけません。「静観」は「見守る」の要素を伝えられる人なら、やっても大丈夫です。

 

 

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