(2020.6.08 修正)
言葉には、その人の感情や思考、想いが魂となって宿ります。自分の口から出た言葉は、実在するものとして、他の人に伝わります。だから、良い言葉は、良いエネルギー(正のエネルギー)となって、周りを元気にすることができるのです。言葉は温かい毛布にも、冷たい刃にもなることができます。
幼い我が家の娘(3歳)は、いたずらをしたり、自分の主張を通そうとして、なかなか親の思うようにはなってくれません。
でも、我が家のチビ姫は、なにかしてもらうと「ありがとう」と頻繁に言います。それを聞いた周りは、必ず笑顔になります。
「ありがとう」は感謝の言葉です。
5文字で構成される言葉としては、もっとも美しい言葉でしょう。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回のお話は、よく分からない言葉を使う教師のお話です。
やばくないですか?
5年ほど前に、若い女性の新任教師が赴任してきました。
とても元気で活発で、よく笑い、よくしゃべります。
このように書くと、もしかしたら、素敵な女性を思い浮かべるかもしれませんが、そうではありません。
話の内容を聞いていると、エゴが強く、世の中を勘違いしていて、自分がどう見られるかに気を取られ、テンションが高いだけです。
その子が、よく使う言葉。
それが「やばい」という言葉です。
もう、なんでも「やばい」って言うのです。
職員室で、授業について話をしているときも
子ども達と休み時間に楽しい会話をしているときも
飲み会で、個人的な楽しい会話をするときも
「やばい」「やばくないですか?」「やばーい」
と反応します。
嬉しいときも「やばい」
悲しいときも「やばい」
美味しいものを食べたときも「やばい」
楽しいときも、苦しいときも、元気なときも疲れたときも、全部がオールインワン状態で使われる「やばい」。
見かねた先生がある日、その言葉に怒って会話をしている場に遭遇しました。
「君ね、何もやばくないって。やばいって、どういう意味だ。」と。
すると、
「なんで怒ってるんですか? そんなこと気にするなんてやばくないですか?」との返事が、なんら詫びる様子もなく発せられました。
とうとう、私も参入です。
「君ねー(本当は名前で呼んでます)、やばいって言葉は、あまり使わない方がいいよ。○○先生の言うとおりだ。昔から使ってるの?」と。
すると「大学の友達は、みんなふつーに使ってましたよ。」と悪びれる様子もなく回答が来るので「それは、言葉を知らないからだ。」と即答しました。
「君ね(本当は名前で呼んでます)、日本語は複雑な感情を表現できるようにできているのだよ。そして、教師たるもの、子ども達の前では、良い言葉をたくさん遣い、良い影響を与えると共に、自分にとっても良い言葉で思考するわけだ。
やばいっていうのは、そうとうまずい状態。ギリギリの状態で、限界がすぐそこに有る状態ってことだ。そうすると、君は周りの人たちに、自分は常にギリギリガールだという宣言をし、他人に向けては、あなたはギリギリボーイであり、ギリギリガールであるんですねと伝えているということになる。
そうではないだろう。
悪意はないと思うが、自分は言葉を知りませんと宣言している。
知らなくたって悪くはないけれど、それでいいってことでもない。
もし、教師として仕事をしていくのなら、教師の武器は言葉だから、
まず言葉を上手に使えるようにならないと教育はできないと言っているのだよ。
無知というのは罪である。罪とまではいかなくても、
それでえーじゃないか! えーじゃないか!と主張してもいいけど、
私は無知ですという主張からは、何も生まれない。」
とまあ、こんな内容だったと思います。
私の話をしっかり聞き、反省している様子が見られました。
そして、
「はい、すみませんでした。・・・私、やばいですね。」と。
だからー!!
「やばい」という言葉には、どんな魂が宿るのでしょうか?