Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

世の中の現象① 「結局、同じ」

結局同じ

(2020.6.13 加筆・修正)

 世の中はどんどん綺麗になってきているというのが私の実感です。どういうことかと言いますと、まあまあ感がなくなってきているということで、まあ、これぐらいならいいでしょうという曖昧さがなくなってきているということです。白か黒かという判断をし、グレーゾーンを次々になくしてしまっています。

 私はこの世の中の動きを「やりすぎている」と見ています。本当は、大抵のことは灰色、つまりグレーゾーンであるわけです。3回にわたって、世の中のやりすぎ感について述べてみようと思います。

 第1話は、私の地元のお祭りでの出来事です。これは、テキ屋排除は子どものためという大義名分がありましたが、言葉が美しすぎるのです。そして正義が強すぎるという内容になります。

 

今から30年以上前のころ。

 私の地元のお祭りの日は、テキ屋さんが店を出していました。

 学校はお祭りのために半日で終わり、友達と一緒に出かけたものです。

 当時、私の家はお小遣い制で、一ヶ月の収入は、小学5年生は500円、6年生は600円という決まりでした。しかし、お祭りの日は、特別お小遣いで、1000円もらえます。とても嬉しかったことを覚えています。

 

「テキ屋」というのは、簡単に言うと、暴力団員さんが経営するお店です。だから、なんとなく怪しい雰囲気が・・・。もちろん、その当時の私には、詳しく知る必要もなかったし、その機会もありませんでした。でも、出店のあんちゃんは、入れ墨をしていたり、言葉が荒々しかったり・・・。

 

「ひもくじ」は、1回100円。目の前に素敵な玩具達がずらりと並べられているので、それがほしくて挑戦しますが、ひもを引っ張ると、必ず後ろから貧素な玩具が出てきます。

 

「はしまき」というお好み焼きの生地だけを焼いて箸に巻き、たっぷりとソースをかけるだけの食べ物も100円。味は、おそらくソースの味だけでしょう。これも好きで、毎年必ず3本は食べていました。

 

「スマートボール」というゲームは、1回50円。100円だとおまけがついて3回できる。さらに、そろうともう1ゲームできる木の札をポンと投げて渡されます。

 

「射的」は、当たったとしても倒れません。

「焼きそば」とか「たこ焼き」「綿あめ」は、少し値がはるので、友達同士で行くときには手が出ませんでした。代わりに「りんご飴」は200円ぐらいだったけど、一度買うと、しばらく食べ続けることができるので、毎年必ず買っていました。

 

「型抜き」という遊びもあり、うまく型を抜くと、その型の難易度に応じたお金がもらえるというものでしたが、一度、友達が1,000円ぐらいの型抜きに成功したら、「ここが少し荒いからこれでいいだろう。」とか言って100円を渡し、成功した型はその場でポキンと割って証拠隠滅するという衝撃の現場を目撃したことがあります。

 

さらに、今はもう、見かけることがほとんどなくなりましたが、

「ひよこ」

スプレーでカラフルに色づけされた「ひよこ」が狭い箱にピヨピヨと大量に入れられて売られていました。一匹100円とかじゃなかったかな~。

 

極めつけは、とにかくあやしい「見世物小屋」。「お化け屋敷」だけの年もありましたが、とにかくあやしい。首が長い女性がいるとか、腕が両生類だとか、まあ、妖怪みたいな感じ。500円もするので、さすがに入りませんでしたが、興味はありました。

 

 

私が大学生だったころ。今から20年以前のころ。

お祭り

 世の中が、徐々にクリーンになってきます。ごみの分別が始まり、マナーがどうこうとうるさく言われはじめ、社会規範みたいなのが大手を振り始めました。

 帰省していた私は、たまたまお祭りの時期と重なっていたので、懐かしさを胸にかかえて行ってみました。

 すると、「お祭りは子ども達のため」みたいなキャッチフレーズ、そして「テキ屋撲滅」みたいな感じだったと思いますが、地元の商店街の人たちが店を出していました。高くて小学生の私には手がでなかった「焼きそば」「たこ焼き」「綿あめ」は良心的な値段になり、焼き鳥なんて、1本50円になっていました。

 

 出店の雰囲気も明るく、良心的な対応で、営利目的はほぼ消滅です。

 ところが、家に帰って、そのことを父親に伝えると、

「みんな、おもしろみが無くなったって言ってるけどね。」と言うのです。

 怪しい雰囲気の方が面白かったということでしょう。

 でもまあ、衛生的だし、良心的だし、別に悪い要素も見当たらないので、その当時の私は、何か自分の意見が特別にあるという状態ではありませんでした。

 

 

私が大人になって考えた。今から10年以上前のころ。

 良心的なお祭りになってからしばらくして、また行くことがありました。

 すると、おかしなことが起きていました。 

 良心的な出店は、かつて「テキ屋」さんが出店をしていたときと同じような値段設定になっているのです。むしろ、それ以上です。

 完全に営利目的です。営利目的が悪いと言っているのではありません。

 ただ、やってることに、さほど違いは無くなっていたということです。

 

 最初に言っていた理念はなんだったのでしょうか?

 テキ屋を閉め出したけど、結局、同じようなことになっていました。

 

 そうして考えました。

 社会のためとか、世の中のためとか、子ども達のためとか、正義とか善とか、声が大きくなることがありますが、そういう美談は「あやしい」のではないか。結局、人は自分が思っているほど正しくはないということを自覚していないだけではないか。自分が正しいと信じて、他者を排除するのは、本当に正しいのか?

 

 かつて、民主党が「自民党はお金の使い方が不透明だ!」と大合唱をして、攻めに攻めまくり、政権与党になることができました。

 ところが、その時、金美齢さんという人が

「民主党はお金を持っていないから、税金の使い道について糾弾しているけれど、お金を持ったら民主党だって分からない。お金を持って、実際にやってみてからじゃないと、偉そうなことを言って、国民を先導することはできないはずだ。」

というような趣旨の発言を書籍でしていました(何の本だっけな~)。

 

 

結局、同じ。

 他人を排除し自分たちがやる場合、その他人の置かれた立場とか、想いとか、現実を見ないでやろうとすると、結局は同じになるということでしょう。そうして、やがて自分たちが同じような扱いを受けるのかもしれません。 

 民主党は、原発事故という不運も重なりましたが、自民党を攻めた分だけ攻められました。攻めた自民党があの大震災の時に与党だったとしても、うまく対応できたとは思えません・・・。だからきっと、立場が逆でも与党は野党に攻められるのでしょう。

 お祭りは、今のところ、さらに価格高騰しながら運営されていますが、少なくとも、私は「いいな~」とは思っていません。近い将来は、なんらかの振れ戻りが起きるかもしれません。

 

 自分は正しいと思っている人、他者は間違えていると思っている人、

 自分と他者は全然ちがうと思っている人、

 さほど変わりはありませんよ。

 立ち位置や立場が少し違うだけです。

 

 同じ人間なんだから。

 

 

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