教師になって1年目から、サッカー少年団を持たせてもらいました。総勢50人規模の大きな少年団です。体育の先生が私を含めて5人もいる小学校で、もともと先輩教員が2人もサッカー少年団にいたのです。当然、とても強かったです。
私はコーチの1人として携わることになりました。その1年は、本業の教師業も含めて、学ぶことだらけで、とにかく時間のない毎日を過ごしました。多くの人たちに支えられて、なんとか乗り切れたのだと、今でも当時のギリギリ感を思い出しては感謝しています。
残される若輩者の宿命
さて、新卒2年目に突入という前に、大変なことが起きます。サッカー少年団を受け持っている2人の先輩教員が同時に異動です。残されるのは若輩者の私だけなのです。
「悪いな。でも、おまえなら大丈夫だ」
みたいな、よく分からない言葉をかけてもらいましたが、なにが大丈夫なのかさっぱり分かりません。はっきり言って力不足です。しかも、保護者のみなさんも、とうぜんですがざわついています。
「うちのサッカー少年団はこれから弱くなるのではないか?」
「あの先生ひとりで大丈夫だろうか?」
「前の先生(いなくなる2人)の方が良かったのにー」
なんていう声です。
私の心境も立場も複雑です。あまり書くと不平不満になってしまうので、その辺りは省略しますが、簡単に言うと「心身ともに非常に厳しい」ということです。
暗雲立ちこめる3月。サッカー少年団で、謝恩会という最後の飲み会が開かれました。勇退する2人の先生の周りに保護者が殺到。これまでの思い出話や感謝の言葉と共に、これからは「不安だ」みたいなことも言って盛り上がっています。
私が側にいるというのに、「私では不安だ」と言っているのです。あまり書くと不平不満になってしまうので、省略しますが、簡単に言うと「私のテンションは下がりまくり」です。
そうして「あの先生(私のこと)では不安だ説」が最高潮に達したとき、監督(先輩体育教師)が言ってくれたのです。
「こいつは未熟かもしれないけれど、とてもいいものを持っている。自分が初任のときとは比べものにならない。そもそも、最初からできる人間なんていない。こいつがいなかったら、少年団は誰が教えるんだ? こいつを大切にしろ。きっといい先生になる。保護者みんなで助けてやってほしい。」
と、こんな内容だったと記憶しています。
守る者でありたい
その後、予想通りというか予想以上に厳しい運営でした。でも大変だった分だけ、たくさんの学びがありました。勝てない試合が増えたり、監督業の難しさを思い知らされたり・・・。保護者との関わりも主で行わなければならないし、少年団のおおよその決断もしなくてはなりません。
決して良い思い出だけではありませんし「一難去ってまた一難」状態が2年間続きました。でも、不平不満はいっさいありません。大変な機会を頂き、たくさんのサポートをもらっていたと感謝しています。
私をそんな気持ちにさせてくれたのは、先輩教員の言葉です。
私は「ああいう教師になりたい」と、強く憧れたのです。
私は「守る者でありたい」という志を持ったのです。
守る者になるために、力をつけなければ・・・という感じでしょう。
あれから19年経ちました。
少しは近づけたかな?と自問自答しています。