Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

リーダーの資質

リーダーの資質


 力強いタイトルをつけてみましたが、話の内容はその逆です。

 

 学校で実践交流会がありました。

 実践交流会というのは、1年間の研修の成果を授業を通してお披露目する会です。表向きは授業を見て学び合いましょうということになっています。

 

 その実践交流会には、来賓として指導主事の先生をお招きし、研究協議の後に講話があります。テーマは、今後の教育に関する最新情報から進むべき道についてのありがたいお話なんですが、その中にひっかかる言葉がありました。一字一句は覚えていませんが、おおよそ次のような内容です。

 

 これからの教育界は大変な時代に突入します(まあ、そうでしょうね)

 これを打開していかなくてはいけません(難しいだろうけどね)

 誰がやるんですか?現場だろうね)

 誰かが「苦しいんです」と言ったらみんなで問題を共有しましょう(いいね!)

 教頭や校長じゃないんです!(うん?)

 みなさんがやるんです!(あれ?)

 

 指導主事というのは、文科省から通達された数々の施策を伝える仕事であり、先生の先生という立場です。現場も知っている人が全体の教育の質を上げるべく業務に当たるというのが私の押さえです。が、どうも最近はそうはなっていない。

 

 話の途中までは良かったんですけどね、後半に疑問点が。

 言い方を変えると、「教頭も校長もあてにしないで、自分たちでがんばりなさい」とも聞き取れます。実際には言っていなくても、裏メッセージとしてはそう聞こえます。

 

 これはね、リーダーとしての資質の放棄なんです。

 教頭も校長も、管理職という立場です。言わば学校のリーダーなんです。

 そのリーダーが機能しないで、組織が動くとでも思っているのでしょうか。

 組織とは、それほど簡単だとでも思っているのでしょうか。

 

 学級のリーダーは担任で間違いありません。

 だから、担任に力量があれば、クラスは健全化し、力強く成長を続けます。

 それはリーダーである担任が、その学年に応じた、そして子ども達の意欲を喚起させた施策を日々繰り返しているからでしょう。

 子ども達に「担任を当てにしないで、自分たちで学級を創り上げるのです!」と言ったとして、できますか?

 組織を甘く見過ぎています。

 

 そして、指導主事先生というのは、教育界のミドルリーダーでしょう。

 そのミドルリーダーが自ら進んで、みんなでやるんです!と抽象的で精神論的で現場に投げやり的な方針を語ってどうするんですか?。一体何がしたいのでしょうか。

 

 私は、もう「ガクッ」と肩を落としました。

 そして、1人であきれ笑いを・・・。

 

 そもそも、管理職になるということは、学校のリーダーになるという役割を買って出ることで起こるはずなんです。それをみなさんでやってくださいでは、何のためにリーダーになったのでしょうか。

 

 社会生活で考えてみますと、リーダーは政策を決定していく政治でしょう。

 政治家が「みんなで協力しましょう。自分たちで創り上げるのです」と言って、自らの主張をしないのであれば、民は離れていくでしょうね。それは、ただの迎合に他ならないからです。

 

 私の知っている三国志というお話では、君主が人々を導けない場合は、たいてい滅んでいます。日本の歴史も世界の歴史も、それを繰り返しているはずなんだけどな~。

 

 次のような演説ならどうでしょうかねえ。

 

 これからの教育は大変な時代に突入します。というか、もうしています。

 この打開はかなり難しく、現状は難攻不落と言っても過言ではないでしょう。

 それでもなんとかもっているのは、現場のみなさんのご尽力があるからだと理解しています。誰かが「苦しい」と言ったら「私も苦しいよ~」と共感しましょう。実際にそうなのですから。苦しみを分かち合えたとき、人は強くなれます。

 そして、学校のリーダーである管理職のみなさんもまた、同じように苦しいでしょうけれども、リーダーとして職員のみなさんの盾になってください。そうすれば、職員は何度も立ち上がり、学校はなんとか生き残れるはずです。

 もし管理職の皆さんも苦しくて倒れそうになったなら、そのときは、私たち義務教育指導班を頼ってください。出来ることは少ないかもしれませんが、出来ることはしますから。

 

 

 思いつくままに演説内容を作ってみました。

 もし、このような内容を指導主事先生が言ってくれたのなら、私は講話が終わった後にお礼を言いに側まで行きます。

「力強い言葉、ありがとうございます」と。