教師という職業は、もし、ただ生活のためとか、お金のためと割り切るのなら、これほど難しい職業はないでしょう。
今の私が考える限り、教師という仕事には、他の仕事にはない大きな特徴があります。それは「人の成長を願う」ということと「対象が子ども達」であるということです。経済活動に左右されず、対象が子ども達であるという職業は、教師という職業のほかにはないのではないでしょうか(幼保も含みます)。
そして、その背後には親の思いや願いがあり、また、子ども達の心の状態は変わりやすく、複雑さを極めています。
ですから、教師という職業を、自身の生活のためと考えるのだとすれば、大変すぎるので、お勧めできません。
しかし、子ども達の成長や、保護者や社会へ貢献しているという視点に立てるのなら、これほど有意義な場を提供してくれる職業もないでしょう。
どちらの立場を取るのかは、自分で選ぶことができます。
他人や社会を理由に、「自分はしかたなく続けているのだ」という人、つまり、自分は選んでいない、仕方なくやらされているのだという人もいるでしょう。そういう意見を私は否定しません。そう思っているのですから、その人の中では真実であるのでしょう。でも、実は自分で選んでいるというのが本当の真実です。
クラスに言うことを聞かない困った子がいたとして、
「この子がいるから自分はやりにくくてしかたないのだ」
と思うことも出来ますし、
「この子は、自分の成長のために大切なメッセージを伝えてくれている」
と思うことも出来ますし、
「もう、教師をやめたくなっちゃった」
と思うことも出来ますし
「この子はSOSのサインを出しているのだから、自分のできることをしていきたい」
と思うことも出来ます。
当然ですが、「お金のため」や「自分の生活のため」というスタイルを選べば、困った子は放っておくという選択もあります。
どれでも選ぶことができます。
私は、どれを選んだとしても、それぞれの人にとって、それが必要だから仕方ないという立ち位置にいることにしていますが、教師という仕事を続けていくのなら、やりたくないという気持ちで続けるのは、相当苦しいですよというのが今回の記事です。
※他のどの職業も「大変」という意味では同じです。ただ、教師は人しか相手にしていない、商売のようにモノが媒介しないという意味で難しいのです。さらに、結果が見えにくく、子どもが相手であるということがややこしくしています。
商売人なら「自分はどんな商売人になりたいのか」と考えるように、老人介護に勤めている人なら「自分はなにをしたいのか」と格闘するように、教師なら「自分は子ども達に何を伝えたいのか」ということを考えていけると、やがて、教師という仕事は本当にありがたいと思える日がくるはずです。
それが、子どもと共に学び続ける教師です。