学校閉鎖が春休みまで決定しました。
世の中は「大変だ 大変だ」と、世の中というか、メディアは騒いでいます。
そういう面もあるということを否定はしませんが、そういう面だけではないだろうなあというのが私の実感です。つまり、メディアの騒ぎ方と現実のとらえ方は必ずしも一致していないということです。また、地域によってもだいぶ温度差はあるでしょうし、その人の置かれた場所によっても変わるでしょう。そういうのを全部ひっくるめて大変だとしてしまうと、メディアと現実は一致しません。
さて、大変ではあるのでしょうけれども、今回のコロナウイルスについて違った側面もあるということを述べてみたいと思うのです。
先ほど、とらえ方は地域や人によって様々ということを書いたので、すべてをひとくくりにして書くつもりはありません。そこで、「学校閉鎖」についてだけを限定して書くことにします。
新型コロナによる学校閉鎖で気づけること
まずは、結論から述べますが、学校閉鎖によって、多くの人が気づけることは
「学校はありがたい」
ということです。電気がなければ電気のありがたさが分かり、断水になれば水のありがたさ、災害に遭えば人の温かさに気づけるように、失ってみてはじめて気づけることが世の中にはたくさんあるのです。
「学校がなかったら困る」ではなくて、「学校は有り難かったんだ」と考えるのです。
現代社会は豊かになりすぎたため、本当は有り難い存在であるたくさんのものが「当たり前」になってしまっており、「ありがたさ」に気づきにくくなっているのです。
メディアを見ると、政府・行政の対応や、学校に行けなくて困るみたいな不平・不満・愚痴が横行しているように見えますが、8割ぐらいの人たちは、「みんな一生懸命に対応してくれているんだ」とか「ありがたかったんだな」と感じているのだと私は思いたいのです。
その感じ方もまた、千差万別であって、みんなが同列ではないでしょうけれども、その人なりに少しでもそう思っているという現象は起きているでしょう。
そうすると、新型コロナは収束してもらいたいことではありますし、命の危険があるのなら、大変なんですが、そうではなく、違った側面にも目を向けてみても良いのではないかというのが、今回の私の主張になります。
子ども達にとっては、約1ヶ月にわたる長期休業となります。
「ひまだー」で終わらせるのではなく、「せっかくのチャンス」と捉えて、自分の生活を自分で組み立てる機会にすれば良いのです(低学年には難しいですが)。
そうして、「友達と遊べるのってありがたい」とか、「あんなに休みたがってた学校もなくなったら寂しい」とか、そういう当たり前のことに気づくチャンスと捉えられれば、今回の騒動も人生経験として大きなプラスになるのではないでしょうか。
家庭学習がかつてないほどに取り上げられている社会的な風潮がありますが、もし、本当に大切な事だとご家庭で判断しているのなら、これほど家庭学習に適した環境が整うこともないのですから、取り組んでみたら良いのです。
子ども達が学校に来られなくなってから、一週間以上経ちました。
学校内は静かです。
なんだか、やっぱり張り合いがないですね。
そうすると、「子ども達はありがたいな~」となります。
余談になりますが
私がお勧めする絶対に親がやってはいけないことは、
多くの人たちが一生懸命対応しているのに、不平・不満・愚痴を子ども達の前では言わないことです。これをやってしまうと、子ども達もまた、大人になったときに不平・不満・愚痴を言うようになってしまいます。