Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の21年間の実践理論

優しくなった子ども達

優しい花


 新学期が始まり、1週間が過ぎました(5年生)。

 昨年度は、担任の先生とあまりうまくいっていなかったらしく、先生と児童、そして児童同士のトラブルも多発し、様々な理由をつけて保健室に逃げ込む子もいたそうです。

 新しい学級を受け持つと、必ず前年度までの人間関係を持ち越します。

 担任を受け持つ以上、これは避けては通れない道です。

 ある事例を通して、私の実践を実例として、持ち越された人間関係の修復について述べてみます。

 

 

いじめと思われる事例が発生

 新学期の3日目、保護者から(具体的には祖母)から電話がありました。

 内容は、帰宅途中に孫が友達とケンカになり、大人数 対 一人の構図になり、泣きながら帰ってきて、そんな卑怯で卑劣なのは、我慢ならないというものでした。

 

 私が担任になり、まだ3日目なので、昨年度までの積み重ねの一部が表面化したのでしょう。私は、「翌日に子ども達からよく話を聞いて、また連絡します」と言って電話を切りました。

 

 そして翌日、1時間目から関係者全員から話を聞きました。

 みんなの話を聞いてみると、やはり双方の言い分がありました。私はすべての事実のみを整理し、確認し、状況を整理しました。

 

 このように、しっかりと事実のみを双方から聞くことで、すでに問題は半分以上解決に向かいます。片方からだけ話を聞くと、どうしても自分にとって不都合な部分は隠しますが、双方合わさることで、不都合な部分も認識されるからです。

 つまり「どうやら自分にも悪いところがあったな~」という気持ちにもなるのです。

 

話し終わったときには和やかな雰囲気になったので「どうする?」と聞くと、全員が「これから仲良くやっていく」ということを選択しました。もちろん、すぐに出来るわけではないけれども、そうやって一つずつ経験を積み重ね、わかり合うということや、友達との距離の取り方、対話をすることの効果を学んでいくのです。この件は一応完了です。

 

 

問題の本質へと向かう 

 事件は一応完了ですが、この事件を入り口として深層部へと入り込みます。

 

「ところで、4年生のころは、どんなことがあったの?」

 と、昨年度までの学級の様子を、子どもたちの感じたままに聞き出します。

 

 私は同僚から少しは話を聞いてはいるのです。

 しかし、大切なのは当事者(子ども達)がどう感じているのかなんです。

 

 子ども達の言い分と教師の言い分はおそらく違うでしょう。

 だからこそ、教室という閉鎖空間で何が起こっていたのかを聞く必要があるのです。それを知るということは、子ども達の行動の背景にあることを知ると言うことに繋がるからです。

 

 すると、数名の男子が担任とケンカしていたことや、自分たちもとばっちりを受けていたこと、授業がなかなか進まなかったこと、教室の中でケンカが絶えなかったことなど、わしゃわしゃと出てきました。

 私は、そうか、そうか。そんなことがあったのか。それはどうしてだい?と、時々質問しながら聞き続けました。そして、一通りで終わったと思われるところで現在に意識を戻させます。大切なのは今なのです。

 

「ところで、5年生になってからはどうなの?」

 子ども達は顔を見合わせ、

「・・・5年生になってからは・・・・いいよね」

「うん、いい。」

 というので、

「そうか。まだ3日目だけれども、みんなの様子を見ていたら、授業に集中しているし、表情もいい。他の先生達からも、5年生は集中していてすごいと言われたよ。それはきっと、君たちが去年、色々あったんだろうけれども、本当はきちんとやりたいと願っていたからだね。」

 と伝えると、子ども達ははっとしたような表情になって、そうだ、そうだったんだよと、頷きました。

 

 ついでです。

「ところで、その男の子はどうして先生に反抗していたの?」

「・・・・いや、それは分からない。」

「そうか、では、5年生になってからはどうなの?」

「・・・・5年生になってからは・・・いいよね。 ・・・・なんか、前より優しくなった。」

 

 ついでです。

 男子集団を教室に戻した後、昨年度、先生に反抗ばかりしていたという男の子を呼び出し、話を聞くことにしました。一通り昨年度の出来事を聞いた後、他の男の子達が言っていたことを伝えました。

 

「みんなが、君のことを優しくなったって言っているけれども、自分ではどうなの?」

「自分では? ・・・・わかんない(苦笑い)。」

「そうか。でも、みんなは優しくなったと言っているから、優しくなったんだろうね。」

 

 男の子は嬉しそうに教室に戻りました。

 

 

優しさとは

  イライラしているうちは優しくなることはできません。

 イライラがなくなったとき、心にゆとりが生まれたときに、人は優しくなれます。

 理屈ですが、理屈ではないのです。

 イライラしないようにしても、イライラはなくなりません。

 イライラは、人から認められることでのみ、自然に消滅します。

 そうすると優しくなります。優しくなろうとして優しくなるのではなく、イライラが自然に消滅すると同時に、自然と優しくなります。

 人が人に優しいというのは、人が持つ感情の自然体です。たとえ、優しくない人がいたとしても、本心ではなく、人はみんな優しい素地をもっているのです。ただ、その素地を発揮するのはなかなか難しいということだけなのです。

 だから、優しい自分を発揮できたとき、それが自然体であるために、良い気分になれるのです。ただし、「優しさ」という概念も本当はなかなかややこしく、「本物の優しさ」と「偽物の優しさ」というのがあるのですが、長くなってしまうので、今回はこれでおしまいです。

 

 久しぶりに長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただいたことに感謝します。

 ありがとうございました。

 少しでも読まれた人のお役に立てれば嬉しいです。