大量退職時代を迎え、教員の新規採用数を増やしていますが、採用希望は減り続けるという現象が起きたため、教員採用試験は受ければ合格するということになっています。
すると、優秀な人材もそうでない人材も玉石混淆で採用されるので、教育界は大変だという理論が先立ち、「若手教師の育成は喫緊の課題である」と声が聞こえるようになります。
ちなみに、「喫緊(きっきん)」とは、「差し迫って大切なこと、またそのさま」という意味で、元々は「吃緊」と表記されていたのですが、「吃」という字が差別用語だということで、常用漢字から外されたそうです。
こういうことも知っておきたいですね。
若手教師を育成に関する間違えている方向性について
私は、本当に心の底から若手教師を応援しています。
それは、若手教師のほぼ全ては「良い教師になりたい」と願って教師になっているからです(ごくたまに例外もありますが…)。
若手教師の人材育成という考えには多いに賛成です。教育の資源は、人材資源だけと言っても過言ではないくらい、人材に頼り切っています。商売ではないのです。
しかし、どうも人材育成と謳ったときに、この商売の方法がそのまま採用されているように感じ得ないのです。
・研修会や講習会に参加させて教え込む。しかも、それが本当に正しいのかどうかは疑わしい。
・これはいいとか、あれはいかんと言った具合に、指導・助言を繰り返す。しかも、その方法が本当に良いかどうかは疑わしい。
簡単に言うと、ごちゃごちゃとうるさい。
育成とは、聞こえは良いですが、本当に育成しようと思うのなら、育成する人に相当の力がないとできません。そして、本当に育成しようとしている人は、育成しようとすることをやめます。
「育成には時間がかかる」
これが大前提です。
「育成には愛の力が不可欠」
これが真理です。
「育成には経験が必要」
これが理解です。
以上のことを踏まえて、育成する側が「教える」のなら効果はあるでしょう。
しかし、以上のことを踏まえているのなら、育成する側は「教える」というよりは「説明する」に変わります。
つまり「若手教師の育成」というのは、若手教師が問われているのではなく、教える側が問われている問題なのです。若手が育たないとすれば、それは育てようとしている側の問題であるということです。
立派な教師ならば、子どもが勉強できないのを子どものせいにはしないはずです。
そういうことなんです。
若手教師の育成に必要なこと
では、どうすれば若手は育成されるのかについて説明します。
しかし、事細かくは説明しません。
理由は、書ききれないのと、説明しすぎないというのが今回のテーマでもあるからです。つまり、物事の理解というのは、どうしても自分の頭で考える必要があるからです。私が提示することに同感しても、反感をもったとしても、自分の頭で考えたことだけが自分の力となりますから、どうぞ批判的に読んでください。
箇条書きします。
1 若手教師に頼られる教師になると決める。
2 若手教師と仕事以外の話ができるようになる。
3 若手教師の方がたくさんしゃべる関係を構築する。
4 若手教師の行動全てを肯定する。
5 若手教師の良さを価値づけて伝える。
6 若手教師の悩み相談は、解決策ではなく問い返す。
7 若手教師が気づけない領域については指摘する。
8 良質な書籍をプレゼントする。
9 たまにごちそうする。
10 見守る
「若手教師」のところを「子ども」に変えても原理は同じです。
子どもへは「書籍のプレゼント」や「ごちそう」はできませんが、「本の読み聞かせ」や「一緒に遊ぶ」と変えて考えればよいでしょう。
人材育成は
時間がかかり、愛に根ざした関わりが不可欠であり、経験が必要です。
私自身はそういう先輩教師にめぐまれました。
そして、自分もそういう教師でありたいと憧れたのです。
人材育成は、真剣に深く追求していくと、
どうしようもなく
育成側の問題だと行き着きます。
ああ、そうか。
育成という立場に立たせてもらうことで、もう一度自分を見つめ直すことができているのだなと理解することです。
育成という経験をさせてもらうことで、自分自身が育成されているのだと実感することです。
それを本当に理解したとき、若手教師は勝手に成長を始めます。
真の育成者は、その存在自体に最大の影響力を持っているからです。
難しく考えすぎたら、童心に返って玩具で遊びましょう。