Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

勉強する理由を子どもに教える

勉強する理由

「どうして勉しなくちゃいけないの?」とか「勉強したって将来使わないじゃん!」なんて子どもから言われることはありませんか?

 直接子ども達と接する大人の代表は親と教師ですから、この問いに納得のいく回答を示したいところです。ただし、この記事は本当のことではありますが、子ども自身に考える力がないと通用しません。

 そして、できることなら親ではない第三者が教える方が良いでしょう。

 親はどうしても我が子に「勉強してほしい」という気持ちが強く、「言動不一致」ということが起きてしまうからです。

 

 

どうして勉強しなきゃいけないんですか?

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 勉強をしなきゃいけないということはありません。
 勉強をしなかったからといって、死ぬわけでもありませんし。

 だから、自分は勉強をしないということを選択してもかまいません。

 しかし、次の2点については、よく考えておく必要があります。

 

 1つ目は、勉強をしないということを選択したのなら、世の中を無知のまま生きていくという結果も同時に選んでいるということ。


 これからの世の中を生きていくのなら、勉強しなかったために少しばかり生きにくいということは覚悟しておく必要があります。
 算数の計算ができなければ、お買い物をするときに、お財布の中身がどれぐらい減るのか分かりません。そもそも、お金がないとできないことが今の世の中にはたくさんあります。

 

 それから、楽しいことも制限されてしまいます。例えば本は自分の世界を広げてくれる楽しい文化ですが、字が読めなければちんぷんかんぷんです。つまり、自分の世界観から広がる楽しさはなくなってしまいます。

 社会の仕組みが分からなければ、世の中で起きている現象について全くついてついていけず、気がついたら大変なことになっていたということもあるでしょう。

 それから、将来、自分がやってみたい仕事をさせてもらうためにも、勉強は必要ですし、そもそも勉強をしない人を会社は雇いたがりません。

 今は、そういう世の中だということで、原始時代に生まれていれば、以上の理論も消滅します。ただ原始時代だって、どうやって生きのびるのかという「生と死」に真剣に向き合ってきたでしょう。

 

 1つ目をまとめると、勉強をしなくてはならないということはないけれども、しなかったことで起こる結果を受け取ることになるから、よくよく考えてみたら良いのではないでしょうか。

 

 

勉強したって将来使わないじゃん

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 2つ目は、勉強そのものが持つ魅力を捨てるということです。人は生まれてから未知の出来事と出会い続けます。すると、知りたくなるというのが人間の性です。知ることは大きな喜びです。

 あなたは知りたくなるはずです。

 いえ、正確には昔は知りたがったはずです。


 昆虫を追いかけたり、お母さんがやっていることを見て自分でやってみたくなったり、雑草を根っこから抜き取って調べてみたり・・・。

 

 もう少し成長してくると、宇宙はどうなっているんだろう?とか、どうしたらみんなが楽しめるのか?とか、自分っていったい何なんだろう?とか、きりがないほどたくさんのことを知りたくなったときに、学ぶということのすばらしさを実感することになります。

 

 少し難しい内容ですが、本当は「学ぶ」ための道具のひとつが「勉強」ということです。だから、実は小さい頃から、沢山のことを学んでいるのです。
 見たり、聞いたり、やってみたり、褒められたり、叱られたりと・・・。
 つまり、「経験」をしてきているのです。

 

 今やっている勉強というのは、その「経験」の選択肢を大いに増やしてくれるばかりか、勉強という道具を使って学ぶという経験もしているのです。

 

 2つ目をまとめると、勉強をしなくてはならないということはないけれども、「学ぶ」という選択の幅を大きく減らすことになるから、よくよく考えてみたら良いのではないでしょうか。

 

最後に

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「勉強」とはなんでしょうか。
「学ぶこと」ですか?
 では、学ぶとはなんでしょうか。
 何かを「覚えること」ですか?
 
 「学ぶこと」と「覚えること」はイコールではありません。
 なぜなら、「覚えること」は、「学んだこと」の結果に過ぎないからです。
 学ぶことそれ自体は、結果とは関係がなく、結果はあとから勝手についてくるだけです。だからもし、その結果がほしくて勉強するのなら、苦しくてもそれを選べばよいのです。

 

 しかしその結果にばかり執着していると、その結果がほしくないのなら勉強をしなくなる、つまり、高校受験という結果がほしいと執着するのなら、高校受験がどうでもよくなった時点で勉強はしなくなります。それは結果に執着した勉強であって、本当の「学び」とは言えません。

 

 本当は「学ぶこと」そのものに魅力があり、「結果」と「学ぶこと」は別々の問題なのです。
 人はこの世に生まれてからずっと、たえず何かを学び続けています。
 だから「学ぶ」とは「シナキャイケナイ」なんてい小さなものではなく、人間の本質にせまるような、人間だけに与えられた大きな能力なのです。

 

 だから、たとえ勉強をしなくても、きっとあなたは学び続けるでしょう。
 学び続けるという道具の1つである「勉強」を捨てると、相当苦しい世の中を進むということを選択することになるけど、それでも学び続けるしかない、ただそれだけの話です。

 

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