Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

無意識だけど知っていること 第3回【ほとんどのらしさは存在しない】

らしさ

「自分らしくありたい」と、一度はそんなことを考えたことがある人は多いでしょう。では「自分らしい」とは一体なんなんでしょうか? 「○○らしい」という言葉は世の中にたくさんありますが、そもそも「らしさ」とは一体何なのか、ひどく曖昧なこの概念について考えてみます。

・子どもらしさ ・母親らしいさ ・父親らしいさ ・男らしいさ ・女らしさ ・大人らしさ ・学生らしさ ・自分らしさ ・日本らしさ などなど、君たちは一体全体何者なのだ!? という記事になります。

 読み終えると、自分らしくあるとはどういうことなのか、なにかピンと直感めいて理解される人もいると思います。

 

1 ほとんどの「らしさ」は存在しない

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 いきなりですが、「○○らしさ」というのは本当はほとんど存在しないということからお話します。

 

 まずは「男性らしさ」とは一体何なのかで考えてみます。

 パッと思いつくのは、「強さ」「頼りがいがある」「チマチマしていない」「潔い」「責任感がある」「優しい」「行動力がある」「べらべらとしゃべらない」などなどでしょうか。まだ他にもたくさんありそうですが、きりがないのでこの辺でやめておきますが、これらの内容を満たしている男性は魅力的でしょうね。

 

 逆に「女性らしさ」でもパッと思いつくままに考えてみます。

「優しい」「包容力がある」「配慮ができる」など、同様に羅列できます。まあ、同様にこれらを満たしていけばいくほど魅力的でしょう。

 
  職業でも考えてみます。私は教師ですから「教師らしさ」はどうでしょうか。

「真面目」「勤勉」「融通が利かない?」など、少しマイナス要因と認識されている「らしさ」も羅列してみました。しかし「先生なんだから…」と人々が批難する場合の教師らしさとは「正直」「平等」「規範」でしょう。だからそうではない現象を目にしたときの批判はすさまじくなります。

 

 こうやって色々なことに当てはめて考えてみると、なかなか興味深くなります。

 私は小学校の教師で専門は「体育科」ですから、体育教師というレッテルが貼られています。体育の先生のイメージはどうやらあまりよくないらしく、「運動しかできない」「怒ると恐い」「声が大きい」「威嚇する能力が高い」「上下関係にうるさい」などのメニューが「体育教師」というレッテルの下にぶら下がっています。まあ、ひとつひとつには反論できますが、今は「らしさ」のお話なので横に置いておきます。

 

 さて、以上の「らしさ」は一体何なのかということを考えたとき、それは多くの人たちのイメージであるということが分かります。ではそのイメージはどうやって創られたのかというと先人達によってでしょう。ではその先人達のイメージは………やっぱりその先人達からでしょう。

 

 よくよく自分の経験に照らし合わせて考えてみれば分かると思いますが、男性らしい男性や女性らしい女性、教師らしい教師という存在は、そうではない存在と比べて多いのでしょうか、少ないのでしょうか。

 

 何が言いたいのかというと、その「らしさ」は人々の願いに過ぎないということです。こうあってほしいと言う願い。男性にはこうあってほしい。女性にはこうあってほしい。教師にはこうあってほしいというただの願いを「らしさ」という言葉で正当化し、それを逸脱する場合は批難の対象にしてしまっているのです。あるいは、こうあるべきだという思いを正当化したいためのものかもしれません。いずれにせよ、元々あるものではなく、後から創られたものであるということです。

 

 男性らしくない男性だって男性だし、教師らしくない教師だってその職業を選べば教師です。ただ、人々が求めていることが「らしさ」なのだから、そのように振る舞えると喜ばれる確立が高くはなるでしょうね。ただそれだけですけど。

 ただ、誤解がないように付け加えると、男らしさと女らしさについては、実は本当のらしさは存在します。特性と言った方が適切かもしれません。多くの人たちが思いつく「らしさ」がないのであって、本当の「らしさ」においては「男らしさ」と「女らしさ」は存在します。

  

 

2 本当の「らしさ」は存在する 

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 ある日、この「らしさ」の中で、本当の「らしさ」は2つだけということに気がつきました。その2つは生まれながらにはじめからもっているものです。

 

①子どもらしさ

 私は教師ですから、たくさんの子ども達を見てきました。そして父親でもありますから、我が子を近くで見てきました。そうして分かった事は「子どもらしさ」を発揮している子たちは輝いているということです。 

何でも自分でやりたがる・・自立する子になります。

お手伝いをしたがる・・人のために働ける子になります。

くだらないことに夢中になる・・集中できる子になります。

おしゃべりが好き・・話を聞ける子になります。

怪しいもの、くだらないことが好き・・好奇心旺盛な子になります。

大人は遠慮するもの(泥とか砂、雨やぐちゃぐちゃ)が好き・・自然を愛する子になります。

うるさい・・どんなところでも楽しめる子になります。

ケンカする・・自分の意見を主張したり、相手を思いやれる子になります。

危なっかしい・・挑戦する子になります。

 

 まだまだありそうですが、大人ならあまり快く思わないことがほとんどです。「何でも自分でしたがる」「お手伝いをしたがる」というのは、一見良いことのように見えますが、それが芽生える幼少期においては、親がやった方が早いし上手くいくので、やめさせようとするという意味で、なかなか快く思えないことです。

 

 大人達は、子ども達に「大人らしく」を押しつけてしまいがちです。でも、子どもなのだから「子どもらしい」姿が自然です。上記にあげたような「子どもらしさ」は、誰に教わったわけでもないのに、それをやろうとします。つまり、元々みんなが持っている「らしさ」なのです。 

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②「自分らしさ」

 いよいよ最初の問いに戻りましたが、「自分らしさ」も本当の「らしさ」で良いでしょう。ところが実際は「自分らしさって何?」と疑問にたどり着いてしまいます。自分探しの旅なんていうことに挑戦する人もいるようですが、何かの番組で「自分探しの旅に出た人で自分を見つけた人に会ったことがない」というコメントした芸人の方がいて、妙に納得して笑ってしまいました。

 

 つまり「自分って一体何?」ということの理解は途方もないくらい難しいということで、多くの哲学者達も「自分を知る」ということは一番難しいと言っています。

 

 でもそれは、やっぱり生まれたときにはすでに持っている「らしさ」ではあるので、無意識では自分で知っているのです。無意識のことを潜在意識とか深層心理とか言いますが、それは自分で意識できている領域よりも遥かに大きな領域です。

 それは違和感として感じる程度かもしれませんが、意識すれば徐々に分かってきます。自分探しの旅のために旅行してもいいのですが、それは知識見聞を広めて自分の内部を見つめることに役立つのであって、旅行先に自分がいるというわけではありません。

 

 その違和感は成功と思われること(仕事・お金・地位や名誉など)を手に入れた後に訪れることがあります。成功したのに違和感があるというのは、自分らしさというものを無視してきた結果起こる現象です。きっと「大人らしく」「社会人らしく」「会社員らしく」「親らしく」という「こうあるべきだ論」を、心の奥底の深いところでは嫌がっていたのでしょう。嫌がっているということすら感じられないくらいに。

 

「いえ、私はそんなことありません。会社員としての自分が本当の自分です。」

という反論の声もありそうですが、そう思うのならそれでいいのです。

「会社員らしさ」=「自分らしさ」なら、違和感が起こらないなら、それは一致しているのでOKです。

 

 

まとめ

 もともと持っているものが「本物のらしさ」です。

 無意識ですが、みんな知っています。

 あとから押しつけられる「らしさ」は、社会にとっては必要ではあるのでしょうけど、同時に「本物のらしさ」に蓋をするということもします。

 「本物のらしさ」はやがて、後からやってきた「作られたらしさ」に追いやられ、「作られたらしさ」を、正しいと思い込んでしまうのではないでしょうか。

 

  自分探しに行こうかな?と思う人は、知識見聞を広めるために思い立ったらのなら実行することを応援します。

 

  その旅は登山でもいいかもしれませんね。