Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の21年間の実践理論

現代教育に失われたもの

LOST

 現代教育は、昔の寺小屋と比較しても仕方ありませんが、想像を絶する進歩を遂げています。『カムイ伝』という江戸時代の全てを描いた漫画の中では、農村地帯で字が読める若者は天才でした。みんな字が読めなかったのです。

 戦後日本教育は、便利で快適で豊かになりました。

 学校給食はおいしいし、教室は暖かいし、先生は優しい、教科書は無料で配布してくれるし、勉強しようと思えば、それを阻害する条件はほとんどなくなりました。

 学力偏重だとなればゆとり教育が生まれ、ゆとり教育がダメだとなれば学力重視になる。様々なことが理論的に解析され、学ぶために必要な技術や手法が瞬く間に広がることができます。インターネットの普及により、自宅にいても学習できることが可能になりつつあります。

 

 高校進学率は特別な場合を除き、限りなく100%に近い数値を達成し、大学進学率も年々上昇傾向にあります。

 

 学校で勉強する学力が社会にどれぐらい役立つかは横に置いておくことにしても、学力を身につけるための環境はすでに完璧に近いほど整っています。「教育は国家100年の大計」と言われるように、こと日本教育界はこれに大成功を収めたと言っても過言ではないでしょう。


 しかし、その反面それによって失われているものも大きいのではないかとも実感するのです。その失われたものはなんでしょう。

 その1つに、学力を高めることに専念しすぎるあまり、子どもを見るまなざしを忘れてしまっているということがあるのではないでしょうか。そこにいるのは、学びたがっている子どもではなく、覚えさせ記憶させる脳や身体なのです。子どもに対するまなざしが、能力のみに特化した身体に移っていることに、私は強い危機感を抱いているところです。

 

 これは教える側の教師についても同様です。一昔前は、教師の個性というのがもっと尊重されていました。もちろん、でたらめをして個性と言っているのではありません。一通りの基本を学んだのなら、その人にだけに備わっているその人の人間としての職業教師。これが今よりも尊重されていたように思えます。そのような教師になるためには、一通りの基本を学ぶのに時間がかかりますが、いくつもの苦労や努力を重ねた結果身につけた確固たる技術を土台としているので、同僚も子どもも保護者も、ある種の専門性を見いだし、尊敬できたのだとも思います。つまり、教師だから尊敬するのではなく、子どもたちを見るまなざしにおいて、一般の人がとうていかなわないから尊敬するのです。決して授業がうまいだけで尊敬していたのではないのです。


 現代教育は結果を急ぎすぎて、この大切な基本を学ぶ段階をひとっ飛びにできるようにと、その多くをマニュアル化し、マニュアル通りに働ける教師を良い教師としてきたのではないでしょうか。そこにはまた、教師を見るまなざしを忘れてしまっているということが言えます。そこにいるのは、人間味溢れる教師ではなく、機械的に効率的に正しく教えることのできる労働者としての教師です。もちろん、効率的に正しく分かりやすく教えることも必要です。…「も」必要なのです。
 

 以上のことは、すなわち部分にのみ関心を集中させ、全体を見ない傾向があるということです。現代教育は、学力という局地に関心を寄せ、良い授業とは何か、効率の良い学習方法は何か、テストで良い点数を取る学習ポイントは何なのかと、意識を集中させすぎています。

 しかし、人間は全体と局地を切り離して存在できるほど単純な生き物ではないはずです。全体と局地は常に連動し、お互いに影響しあっています。あるいは、局地というのは全体という母体があることでのみ存在できるということです。

 

 私は現代教育を一方的に批判したいと考えているわけではありません。現代教育は、あらゆる要望に応え、あらゆる環境整備に尽力し、実現してきたのです。
 これらを創り上げた人たちの善意を批判することなどできるはずはありません。
 本当にありがたいと、心の底から感謝しています。

 

 だからこそ、私は危機感を抱きつつ、現代教育が置き去りにしてきた全体を取り戻す時期が来ているのではないかと提唱したいのです。不登校、ひきこもり、キレる子、やる気のない子、落ち着きのない子など、数々の問題はなぜ起こっているのか。局地から全体を見る視点、つまりは結局、子ども自身を見つめる深いまなざしが突破口です。それは授業改善によってのみ達成できるほど簡単なものではありません。点数として見えないからです。そして複雑に入り組んだ迷路のような世界です。自動車の部品のように、ある部分を取り替えたら治るというものではないのです。その部分が全体との関係において、どのように関わっているかということは、局地のみに集中している私たちは知ることすら放棄しているのです。


 現代教育は、歴史的に見れば、恐ろしいほどの速さで進歩しています。

 進歩とは一体何なのか。

 もしも豊かさという側面を言うならば、確かに進歩しています。しかし子ども達の内面をのぞいて見ることが可能ならば、退化や堕落していることに気づくはずです。

 

 私は、日本のこれまでの教育を批難するどころか賞賛しています。

 その勤勉さにおいて、おそらくどこの国にも見劣りすることはないでしょう。

 ですから、もし「失われたもの」に気づくことができれば、これもまた、恐ろしいほどの速さで内面における進歩もすることができるのではないかと考えています。

 私の好きな金森先生は、それを期待していました。私も全く同感です。

 

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