Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

姿勢よく子ども達を座らせることは必要ですか?

姿勢を正して話を聴く

 先日、若手教員と対話をしていると、若手教員(30代・男性教師)が前から思っていることについて自らの悩みについて語りました。その内容は以下の通りです。

 

 子どもたちをきちんと座らせて、きちんと話を聞かせるということについて、聞いているのならば多少姿勢が崩れても良いと思う自分がいる。きちんと前を向かせて、きちんとした姿勢を取らなければ話を聞けないということではないのに、どうして姿勢を良くさせることが正しいのだろうか。別に多少姿勢が崩れたとしてもいいじゃないか。そう思う反面、社会に出たときに、やっぱりそれは必要であるのだから、子どもたちの将来を願うならば、きちんと姿勢を良くさせた方が良いのか・・・。

 

 このように考える若手教員(30代が若手かどうかはさておき)は、自分で考えているという一点のみをみても大変優秀です。色々と混ざってはいますが、物の見方が整理され、自分自身を見つめることができれば、自信を持って進むことができるでしょう。

 

 私からは「こうするべきだ」とか「こう考えるべきだ」というつもりはありません。それは自分で考えることだからです。ただ、考えるためには知識が必要であり、こんがらがっている思考をほぐす作業が必要になりますから、そのお手伝い、1つの視点として教えます。

 

愛情なのか自己保身なのかという問題 

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 子どもたちがきちんと座っていなければならないということはない。君の言う通り、きちんと座っていなくとも話を聴くことは可能である。姿勢良く聴くというのは、ただ単に話を聴かせるという目的を達成するための1つの方法に過ぎない。

 

 では、子どもは姿勢が良ければ話を聴くのかと言う問題について考えてみる。子どもたちの教師を見る目は恐ろしいほどに正確である。この先生の話は是非聞きたいな~とか、この先生の話はつまらないぞ!とか、この先生の言うことはうさんくさくないか?なんていうのは、本当に怖いほど的確に正確に判断している。つまりは話を聴かせるための姿勢よりも、誰が話をするのかの方が重要である。

 

 では、子どもたちに話を聴かせられる教師という事について考えてみる。

 

 きちんと座らせるという事例で言うと、それが子どもたちのためと心から思えるのなら「きちんと姿勢良くしなさい」という教師の言葉を子どもたちは聞くだろう。これは「愛情」による指導だからである。

 しかしきちんと座らせたることが教師自身の自分を良く見せるためならば、子どもたちは聞きたくなくなるだろう。これは「不安」による指導だからである。

 きちんと座らせるのが良いかどうかというのは、つまりはその動機によるということだ。「子どもたちをきちんと座らせる」という見える現象は同じでも、中身は全然違うということで、もし君自信が他者の目を気にして「きちんとさせた方が・・」と言うのなら、それは周りの目を気にしている自分自身の問題だと言うことだ。

 

 

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「なんだかすごくすっきりしました。」と、その若手教員は言っていました。どうやら、自分自身でも心当たりがあるようで、それはすなわち「人からどう見られるのかを気にしている自分を嫌がり始めている」ということなのです。それも伝えると大変喜んでいました。

まだ時間はかかりそうですが、きっといい先生になります。

 ちなみに私自身は、紆余曲折を乗り越えて、姿勢を正すということを大切にしています。ですから、必要に応じて「はい、姿勢を正してください」と子どもたちに伝えています。

 教室に張り詰めた空気感が漂うとき、子どもたちの集中力が一気に高まります。

 

 

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 子どもは筋トレをするよりも、外でおおいに遊ぶことをオススメしますが、大人の姿勢についてはトレーニングによって腹筋と背筋を鍛えることでシャンとしますよ。バランスボールは体幹を鍛えるのに最適ですが、家に置き場がないと難しいですね。オブジェとしては邪魔くさいですからね。

 そうそう、昔このバランスボールに座って子どもを抱っこして、揺らしながら寝かしつけたこともあります。揺れは子どもにとって心地よいようです。