Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の21年間の実践理論

絶望病

絶望病

(2019.8.04 の記事をリライト)

 学級担任からはずれ、学校全体の子ども達と接するようになってから3年が経ちました。この3年間の間に、とても気になる現象が加速度的に増えてきました。

 それは、表情が暗い子どもが増えてきたということです

 その原因は、もう愛情不足ということに行き着きます。愛情について詳しく書くと、膨大な量になるので、ここでは省略することにしますが、今起きている現象とその活路を書いてみます。

 

 現象

 病気ではないので、なんと言って良いか分からなかったのですが、職員室の同僚と子ども達の状態を話していたら、その暗い状態が絶望しているような感じだったので「絶望病」という名前をつけました。そのような病気があるわけではありません。

 具体的な状態の特徴は以下の通りです。もしかしたら、同じような現象を目にしている人もいると思います。

 

01 表情が暗すぎる

02 「楽しかった?」と聞くと「ふつー」と答える。

03 休み時間になると、不平、不満、悪口という負のオーラを出しまくる。

04 授業中は無気力。

05 ノートを出さないということもある。

06 「つまんない」「めんどくさい」を連呼する。

07 世の中に楽しいことはないと決めている。

08 家庭ではそのような素振りをなるべく見せないようにしている。

09 情緒不安定

10 目がうつろ

11 歩くのが遅い

12 数名で群れることが多い

 

 まだありそうですが、一番分かりやすい特徴は何事にも「つまんない」と言っているので、耳を澄ませば見つけられます。表情も暗く、元気な子ども達から離れようとするので、よく見れば見つけられます。というか、担任にとっては手のかかる子や授業を進めるときに邪魔をしてくるので、「困った子」として認識されています。

※邪魔の中には、「先生の指示に従わない」が最も多いです。注意をすると「めんどくさい」と言います。

 

  私は子ども達のそのような姿を、愛情が足りず、歩くのもやっとで、人生に絶望的なのに、それでもなんとか輝きたいと本当の自分はなんとか踏ん張っているので、「すごい」と見ています。

 

活路

 原因の根っこは(表面的な理由は千差万別ですが)愛情不足です。

 だから、愛情を与えれば良いということになりますが、それが難しいのです。

 なぜなら、その愛情は本来的に家庭で充電するもので、教師はその代用であるからです。教師はそもそも学校にいる間のほとんどの時間は授業をしています。また、1人の教師にクラスの児童は30人ぐらいいます。個人的に話そうにも、休み時間は短いですし、放課後は会議などで時間の確保は難しい。現実的に考えるならば、教師が親代わりのような愛情を時間をかけて与えていくのは難しいのです。

 

 それでも、根っこが愛情不足なので、活路は愛情にあります。

 

 その愛情をどうやって与えれば良いのかと言いますと、その時々の状態によって、様々なので、一様には言えませんが、愛情のかけ方はたくさんあると覚えてください。

 ・褒める(これが一番簡単)

 ・叱る(これは技術が必要)

 ・話を聞く(難易度が高いけど一番愛情的)

 ・一緒に遊ぶ(絶望病になると、遊ぶこと自体しませんが・・)

 ・話しかける(ここが活路の中の活路)

 ………………等々。

 

 やってはいけないのは、「静観」です

 とりあえず様子を見ましょうというのは、絶望が悪化します。

 なぜなら、絶望状態は教師に向けたSOSだからです。

 例え憎まれ口を叩いたとしても、やっぱりSOSなんです。 

 例え「先生の事が嫌い」と言ったとしても、SOSなんです。

 静観とは、絶望病の子にとっては、無関心という認識を生み出します。

 愛の反対は無関心ですから、絶望している子に「静観」はもっともやってはいけません。私は普段、「ダメ」なんてことはほとんど言わないのですが、ここだけは譲れないくらいダメなので、強調しておきます。

「静観はダメです。」

 

 オススメは、話しかけるです。

 もう、話題なんて、なんでもいいから話しかけまくってください。

 時間がないのは事実ですが、一日一回でもいいから話しかけてください。

 話すときには、いつも笑顔で淡々と話しかけてください。

 誰にでもできる活路はここにあります。

 

事例

 3年生の目立たないけど、陰で分からないように悪さや不平・不満を言っている女の子が気になるという話を職員室で聞きました。 

 名前を聞いても、思い浮かべられなかったので、その子は、存在感を消しています。

 だけど、授業中の態度とか、休み時間の様子を聞くと、絶望病です。

 

 体育の時間に、子ども達を集めて、後ろの方に目を向けると、1人だけ話を聞いていない子を発見しました(存在感を消しているので分かりにくいですが、よく見ると話を聞いていないと分かります)。別に悪さをしているわけでもないので、普通は注意されることもないでしょう。

「○○さん、話を聞いてないでしょう。」

と声をかけました。すると、普段は存在感を消しているので、驚いた表情でこちらに顔を向けました。

「○○さんね、大切なことを言うから、よく聞くんだよ。先生の話は聞いた方がいいよ。」

 その子は、うん、うんと慌てた様子で首を縦に振ったので、ここで終わりです。

 

 給食準備時間に、私が階段を上っていたら、たまたまその子の姿が見えました。

 その子も私の姿を見つけ、

「せんせー!」

 と手を振り

「いえーい!」

 ですって。

 

 私がやったことは、名前を呼んだだけです。

 その子にとっては、名前を呼ばれるってことが嬉しいのです。

 存在感を消しているからって、話しかけられたくないってことはないのです。

 誰か私を見つけて!と言っていると考えて良いでしょう。

 その子が嬉しくなったら、お友達への不平、不満、悪意なんていのも減ります。

 自分が好きになれたら、友達も好きになります。

 その辺の理論については、書くとまた膨大な量になってしまうので、この辺でやめておきますが、下記に書いていることは覚えておくと役に立ちます。

 

まとめ ~本当は絶望なんかしたくない~

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 存在感を消している子は、存在したがっています。

 やる気がない子は、やる気を持ちたがっています。

 悪さばかりする子は、良いことをしたがっています。

 先生に嫌われるようなことをする子は、好きになってもらいたいのです。

「つまんない」を連呼する子は、本当は「楽しい」って言いたいのです。

 

 突き詰めていくと、対応は恐ろしいほど専門的になってきますが、

 とりあえず、話をしないことには進めないし、話しかければ扉は開きます。

 だから、もう、何でも良いから話しかけてください。

 活路は話しかけるところにあります。