Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の21年間の実践理論

ネットにおける誹謗中傷とソルリ法案

ネットでの誹謗中傷

 つい最近のニュースになりますが、テラ・ハウスという番組に出演していた子が、ネットにおける誹謗中傷によって自殺しました。そのことに関連して、ニュースでは韓国の人気アイドルが同じように自殺したことを取り上げていました。ソルリさんの自殺に大きな波紋が出た結果の法案審議なので「ソルリ法案」と言うそうです。ちなみに、まだ法案の採決には至っていないようです(ニュースで言っていました)。

 

ソルリ法案が慎重になっている理由

 韓国の「ソルリ法案」は、ネットにおける書き込みにIPアドレスが分かるような仕組みにして、誰が書き込んだかを特定しやすくする法案だそうです。これがなぜ慎重にならざるを得ないのかというと、「表現の自由」というのを侵害するのではないかということらしいのです。「表現の自由」とは「言論の自由」であり「思想の自由」です。

 確かに人として自由であることは大切です。でも、私なりに少し深く考えてみると、「表現の自由」という言葉が美しく、都合の良いように使われすぎているのではないかという結論に至ったわけです。

 

誹謗中傷は「いじめ」である

 学校現場で「いじめ」はとても大きな問題です。教師は常にアンテナを高くし、「いじめアンケート」を実施したり、子ども達の休み時間の様子を見たり、保護者や子どもからの訴えに迅速に対応していきます。

 この「いじめ」には、「直接的ないじめ」と「間接的ないじめ」があります。もちろん「直接的ないじめ」の方が分かりやすいです。目撃者もいますし、事実として見える形で起こるので、証拠が十分なのです。

 では「間接的ないじめ」とは何かというと、ひとつは「陰口・悪口」であり、もうひとつは「集団無視」です。

 ネットにおける誹謗中傷とは、上記の内容に照らし合わせると「間接的ないじめ」であり「集団的な悪口」ということになります。

 それがどうして「表現の自由」などと言えるのでしょうか。

「ネットの書き込みで相手がそんなに傷つくなんて……。そんなつもりはなく軽い気持ちだった。」という言い訳など聞きたくありません。書き込んだ理由などどうでもいいのです。書き込んだ人は、そもそも想像力が至らないのです。「包丁で人を刺したら血が出るなんて知りませんでした。」と言っているようなもので、公園のベンチにスプレーで落書きをする子どもの発想です。

 

 私はかねてから無記名アンケートにすら反対の立場なのです。たとえ無記名でいいですよと言われていても、私は必ずアンケートに名前を書きます。それは自分の言葉に責任を持つということで、自由と責任はセットであるということです。

 

誹謗中傷は極めて攻撃力がある

 もう一つ言いたいことがあります。それは、言葉の持つ力の強さです。「言霊」という言葉があるように、目には見えないけれども言葉の持つ力は良くも悪くも強大です。「言霊」というのは「魂を持った言葉」ということであって、それを攻撃に使うということは、相手の魂に突き刺さるように使うということであって、つまりは肉体以上に心に突き刺さっていくということなのです。

 

「表現の自由」が脅かされることを危惧しているのなら、きちんと分けて考えないと玉石混同となってしまいます。私の考えでは、「表現の自由」とは「権力」に対して危惧するものであって、「権力」という支配から自由を得るために存在している。

「弱者」に対する「いじめ」にあたる「表現の自由」など必要在りません。その自由は本当の自由なんかではなく、ただのわがままであり、未成熟な人が悪口を言って自分が勝手にすっきりしているだけであり、生産性もなく、相手の不幸の上に自分の気持ちの高揚を得ようとする稚拙で幼稚で卑しい行為にすぎません。

 そんなものを守ってどうするのでしょうか?

 

 言葉は、相手を喜ばすこともできるし、励ますこともできるし、応援することもできます。大きな権力が理不尽なことをしたとして、それにあらがっている人の「表現の自由」を応援するように「表現の自由」は使うのです。

 

 最後に名言を1つ紹介します。

「自由には義務という保証人が必要だ。それがなければ、単なるわがままとなる。」(イワン・ツルゲーネフ ロシアの作家)