Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の27年間の実践理論

子どもをかわいがるタイミングは・・・

かわいがるタイミング

(2019.10.05の記事をリライト)

 子どもってかわいいです。学校の子ども達もかわいいし、我が子もかわいい。だから、うーんとかわいがるのですが、どうやら多くの人たちは、かわいがり方を少し勘違いしているようです。

 実際に我が子の育児と学級の子どもたちとの関わりの中で実感したことをお伝えしますが、主に「育児」にウエイトを置いた記事になります。

 かわいがるタイミングが理解できると、少し寂しい気持ちになるかもしれませんが、子どもは絶大なる安心感を得られます。そういう内容です。

 

育児のリアル 

 まず最初に、「育児あるある」について紹介します。

 

・忙しいときに限って、かまって光線を出しまくってくる。

・言うことを聞いてほしいときに聞かない。

・寝る時間になっても興奮状態。

・片づけた物から散らかしていき、散らかしたものには興味がない。

・戦力外通告を出さざるを得ないのにお手伝いをしたがる。

・両手がふさがっているときに限ってだっこをしてもらいたがる。

 

 もう、きりがないほど出てきます。そして、この次が肝要なのですが、

 

・かわいがろうとすると、寄ってこない。

・「こっちにおいで」って言っているのに遊ぶのに夢中になってたりする。

 

 あまりにかわいいので、だっこしたくなって「だっこしてあげる」って言うときに限って、全然寄ってこないのです。 だからやや強引にだっこしてしまうということもありますし、せっかく何かに夢中になっているのに、手を出して嫌がられるということもあります。

 それでいて、自分は十分に子どものことを見ているし、十分かわいがっている(愛情を注いでいる)と思い込んでいる人が多いです。

 

 私の見たところ、そのようなかわいがり方は親の都合です。親なのだから親の都合で問題はないのでしょうけれども、本当に子どもに愛情を注ぐのなら、子どもがしてほしいときにするというのがベストタイミングです。

 

 遊びに夢中になっているんだったら、そのまま夢中にやらせる。

 だっこしてほしがったら、手を止めてだっこする。

 お手伝いをしたがったら、時間が倍以上かかるけどさせる。

 

 私は、そういう子どもの欲するタイミングで関わるというのは、難しいと十分理解はしています。ですから、できなくても仕方ないと共感する立場です。

 しかし「私は子どもに愛情を注いでいる」と自負するのなら、「本当にできているのか。」「自分の都合でやっていないか。」など、自問自答することもまた、愛情のなせる技だと言いたいのです。 

 

 

愛情を注ぐということ 

  最近の傾向として、親はかわいがっているという意識なのですが、私から見ると、我が子をペットかお人形のように扱っている例を見聞きします。私の周りにはいませんが、まだ小さいのに髪を染めたり、変なそり込みを入れたり、必要以上におしゃれをさせたりなどなど、子どもらしさというのを無視したプチ大人を演出し、ただ目立たせようとする行為を言っています。

 愛情を注ぐとは「子どもらしさ」を大切にしてあげるということでもあります。 

www.nayunayu.com

 子どもが愛情を欲している時に愛情を注ぐと、子どもは愛情豊かに育ちます。 

 これは甘やかしではありません。ついでなので、これも書いておきます。

 

 甘えさせるのは良いけど、甘やかしてはいけません。

 

 甘えさせるとは、愛情をうんと与える事。子どものタイミングです。

 そして、物を与えることではありません。一緒にいて見守ることです。

 

 甘やかすというのは、自分でできることを親がやることです。

 物を与えまくるというのもこれです。

 自分でやろうとする自立の芽生えもつぶします。 

 

www.nayunayu.com

 

 

まとめ

 知識としては知っていても、実際にやってみるとなかなか思い通りにはいかないと実感します。なかなかうまくいかなくても自分で修正し、できることをやっていくうちに、そのような知識が本当の知恵となり、子どもの目が輝いていくと実感します。

 だから、えらそうな事は言えないのですが、そして、やるべきだなんてことは到底言うつもりもありませんが、

 子どものタイミングで愛を注ぐと、注いだ愛情の分だけ愛が育ちます。

 あっ、そのタイミングは、一緒にいないとわかりませんよ~。

 子ども達は一緒にいることを1番に望んでいます(10歳くらいまでは)。 

 

上の2つの玩具はオススメです。我が家のチビ姫たちは、両方とも3歳まで、この玩具で相当遊んでいました。それを側で見ているだけで、チビ姫たちは満足そうにしていましたし、一緒に遊ぶと喜んでいました。