(2019.12.10の記事をリライト)
子どもの誕生日に何を買ってあげようかと悩んだことはありませんか?。幼すぎる子であれば、自分で選ぶことは不可能になるので、親が選ぶことになりますが、ある程度自分の意志みたいなものが芽生えたのなら、子どもが喜ぶ物をプレゼントしたくなるのが親心というものです。ところが、子どもが選ぶものというのは、大抵の場合、親から見ればくだらない物なのです。喜んでもらえて、子どものためになる物は一体どんな物なのか、1つの考え方として述べてみます。参考程度に読んでください。
PRESENTの意義
プレゼントには様々な種類があります。いつ、どんな時にあげるのかによって様々ですし、恋人にあげるのか、親にあげるのか、友人にあげるのか、子どもにあげるのかによっても変わってきます。
しかし、プレゼントの最大の意義は「気持ちを伝える」ということに尽きるのではないでしょうか。それは「喜んでもらいたい」という願いから生まれています。
相手に喜んでもらうと、プレゼントした方も嬉しくなります。
プレゼントした物が大切に扱われていると、さらに嬉しくなります。
つまり、プレゼントとは、コミュニケーションにおける「喜び」を発生させる素敵な行為ということになります。
プレゼントに関する一般的な記事も書いていますので、もし良かったら読んでみてください。
子どもがほしがる物
さて、話がややこしくならないように、対象を我が子への【特別なプレゼント】に限定して、子どもがほしがる物について、その傾向と考え方を紹介します。
誕生日プレゼントは、自分で選んで良いという我が家の方針により、誕生日が近づくと上の娘は「ちゃお」という雑誌を見ながらうーんと考えます。
そうして選んだ物は、大人なら大抵「くだらない」と思ってしまうような代物です。アクセサリーが作れるとか、プニジェルがどうとか、おそらくあっという間にゴミになってしまうようなものなのです。でも、我が家の方針なので、子どもが自分で選んだのなら、それをプレゼントします。これまでの経験では、大変喜んで一生懸命作り、そしてゴミになっています。それでいいのだと思います。
私の目から見たそのくだらない物は、娘にとってはくだらなくないのですから。逆に、大人が良いと思う物は子どもの目にはくだらないと見えているのでしょうから。そして、子どもの頃欲しかった物は、大抵は大人になったらもう欲しくありません。その時に感じるようには感じられないからです。だから、くだらなくい物でもいいのだと思います。
昔、5年生を担任していた頃、男の子が「サンタさんはお母さんだった」という作文を書きました。それによると
「僕が本当に嬉しかったのは、2年生の時にもらった太鼓の玩具だけで、それ以外は木製のパズルとかでサンタさんにお願いした物ではなかった。サンタさんはどうして僕の願いを聞いてくれないのかと不思議に思っていた。」
ということでした。
自分の事も振り返ってみると、買ってもらったり、自分で買ったもので、心からワクワクした物はそれほど多くはありません。
中学生の頃に親に半分だしてもらって買ったCDラジカセ、自分の部屋に無理を言って置いてもらったテレビ、はじめて買った3万円のバイク、バイト代を貯めて買った40万円のバイク、初任のころの初ボーナスで買ったコンポなど、心が浮かれたことを今でも思い出せます。
でも、今は何を買っても、かつてのような心躍るような感覚はないのです。
買えちゃうからなんでしょうかねえ。
もしくは、もう必要だと心から欲する物がなくなったからなんでしょうかねえ。
いずれにせよ、トキメキが起こらない自分を自分は寂しいと思っています。
だから、子どもがほしいと願った物を「くだらない」と一蹴するのはもったいないと私は考えているのです。トキメキが起こる時間は、私たちが思っているよりも短い期間なのかもしれないからです。もちろん、何でも買ってあげると言うことではありません。1年に一度の誕生日プレゼントぐらいは、自分で選んで良いのだから、選んだ物については
「良いの選んだね―!」
と言ってあげたいとことです。
そうすると、主体的に選ぶという経験にも繋がります。
※ただし、ゲームについてはよくよく考えてみてくださいね。
あれは喜びますが、後々ややこしいことにもなりますから。
くだらないものだけれども
下のチビ姫は、先日、クリスマスプレゼントということで、祖父母にアンパンマンの列車の玩具を買ってもらいました。プラレールみたいな電池で動く玩具です。
まだ3日ぐらいしか経っていませんが、朝晩、嬉しそうに遊んでいます。
おかげ様で、部屋が常に散らかっていますし、狭いです。
それで良いのだと思います。