Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

本当の元気とは

本当の元気とは

 ある出来事からお話を始めることにします。

 その女性は図書館司書という職についており、近隣の4校に在籍し、主に学校図書の整理と子どもたちへの貸し出しや本の普及を任としています。時折、子どもたちと悩み相談のような、雑談のようなことをしているそうで、そうしているうちに少しでも子どもたちの力になりたいと考える機会が増えたということでした。


 その中の1人として、私のクラスにいる男の子が気になっていて「何か気になることがあったら教えてください」というメモが私の机の上に残されていました。

 週に1度の本校勤務ですから、お会いする機会はそれほどないのですが、たまたま学校図書室へ行った時に話しかけられましたので、じっくりとお話をする機会なのだと理解して、話を聞くことにしました。

 その女性のお話の概要は、おおよそ次の通りです。

 

・自分は何もできないけど、少しでも子どもたちの役に立てればと考えている。

・時々、悩みを話してくれる子もいる。

・私のクラスにいる男の子の食事を心配している。

・でもそれは、何かできるということではないとも思う。

・食事は大切で、過去には食事をしっかり摂ったら元気になった子もいる。

・子供食堂というのが地元にあるのか調べてみたがなかった。

・子どもたちの手助けをしたいと思っているが、それはその子たちが求めていないのなら、余計なお世話なような気もしている。

・結局、自分に何ができるんだろうと考えたり、自分のやっていることは良いのかどうかと考えることもある。

・そして、何もできることはないのではないかとも思っている。

 

「なるほど、だいたい分かりました。もし、自分がしたいことと何ができるのかを知りたいのなら、教えることはできますが、どうしますか?」と私は聞きました。

「そういうのは、やっぱり自分で考えた方が良いのでしょうか?」
と遠慮なさるので、

「そう思うならそうしてもかまいませんよ。自分で考えたいのなら、それでも良いと思います。ただ、聞いたらダメだということもありませんよ。」と答えました。


 その女性は少し考えてから、ではひとつだけアドバイスをお願いしますと言いましたので、私の知っている範囲で説明をすることにしました。

 

「あなたは、ごくごく簡単に言うと、子どもたちに元気になってほしいんですね?」と、私は確認から始めましたが、

「元気?う~ん、元気にしたいということではないんです。そういうのじゃないんです。」と、あっさり話の冒頭から否定されてしまいました。


 冒頭から否定されるということも滅多にないので、少し考えてみました。「そういうのじゃないんです。」という言葉に、私は違和感を感じたのです。

 何か直感めいた違和感。共通理解されていない何か・・・。

「元気」という言葉に反応している現実・・・。

 ああ、そうか。問題は「元気」だと分かりました。元気の定義が共通認識されていないのだと。私の言うところの「元気」と、その女性の言うところの「元気」にずれがあるのでしょう。

 

「私の言う元気という言葉の意味は、少し違うのですよ。」と、話題を「元気」に特化します。 

 

本当の「元気」とは何か

 私の言うところの元気は、わーわー騒いだり、勢いがすごいということではありません。それはただのうるさい子。「カラ元気」と言ってもいいでしょう。「うるさい」と「元気」は違います。

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「うるさい」にはたいした意味はなく、ただその人が「うるさい」というだけです。 周りにいる人は迷惑かもしれませんし、そうでないかもしれませんが、どちらにせよ、お祭りのようなものです。

 時には勢いが必要なときもあるでしょうけれども、日常生活で常に威勢が良いというのは、どうも疲れてしまいます。人前では威勢がよくても、1人になったときにふっと疲れちゃう。そういうのを「虚勢」と言います。

 

 私が言うところの「元気」とは、その子が自然体になれるということです。

 静かな子は静かな状態で良いということ、元気に遊び回るのが好きでないのならそれで良い。人混みが嫌いでも、勉強が嫌いでも、あなたは他人にとやかく言われることを気にするのではなく、あなたのままでいいんだよとすることです。

 それは一見、静かで「おとなしい」ということなので、元気とは反対の位置にあるように見えるかもしれませんが、そう思ってしまうのは、元気を「騒がしいか騒がしくないか」という視点でしか見ていないからです。

「元気か元気でないか」は本来、騒がしさとは関係ありません。

 

「虚勢」という元気は、みんなに良く思われたくて元気に見せているだけです。

「虚勢」など熱心に演じなくても、ありのままの自分で良いのです。

 そうして、自分の思っている自分と、外側に出る自分が一致してくると、整ってくるのでエネルギー量が増していきます。このエネルギー量の増加を「元気になった」と私はしています。

 

元気にしたいのならやれることは3つだけ

 図書館司書の女性は「それなら元気にしたいんだと思います。」と、この元気の定義に納得したようだったので、私からは3つほどやれることはありますという話をしました。

 

 1つ目は、もうすでにやっているようですが、話を聴くということ。

 話を聴いてもらえただけで人は元気になれます。きっと、ご自身でもそういう経験があるのではないでしょうか?と確認しましたら、納得している様子が伺えました。

 

 2つ目は、何かをしなくてはいけないということはない。

 ただそこに存在していてくれるだけで、子どもたちは安心するでしょう。誰かが側にいるというのは理屈抜きで(本当は理屈はあるのですが)嬉しいものです。

 ただし、何もしちゃいけないってことではありません。何かをしてもいいし、しなくてもいいのですが、あなたがそこにいるだけで、すでに安心感を与えているということしているのです。

 

 3つ目は、あなた自身が良いエネルギーをいっぱい持てるようにすること。

 いくら存在しているだけで安心すると言ったって、不機嫌な人や怒りっぽい人、どうしようもなく不幸そうな人が側にいたのでは、逆に不安になります。 

 

 図書館司書の女性と話を始めたときは、あまり表情が良いようには見えませんでしたが、話が終わる頃には素敵な笑顔が見られるようになりました。ああ、あなたも元気になれたのですね。と、嬉しい気持ちになりました。

 

 

 

本当に元気になれたなら・・・

 カラ元気ではない元気、虚勢ではない元気になれたらどうなるかですって?

 自分がやりたかったことに挑戦してみたくなります。

 経験したがっている自分が、静かに穏やかに力強く出てきます。

 それは、多くの人が言っている元気とは違い、内側からこみ上げてくるような心地よさを伴います。それを経験することができれば、そして感じようと意識すれば、誰にでも分かります。

 

 もし、自分には元気がないなあと思っていて、かつ、元気になりたいと願うなら、次の3つを実践してください。

 

 1つ目は話を聴いてくれる人に話すこと。
 2つ目は素敵な人の側にいくこと。

 

 とりあえずは、これだけで相当元気になります。今回の対話で「元気」とは何かについて、深く考えてみることができました。

 この対話がなければこの記事も生まれなかったでしょう。図書館司書の女性に感謝すると共に、記事を読んでくれた皆さんにもお礼申し上げます。

 ありがとうございました。

 

 

元気になりたいからって、飲み過ぎには注意しましょう。