Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の21年間の実践理論

教室の子ども達の幸福を願うなら必須だけど担任がやらないこと。

子ども達の幸せを願う

(2019.10.29の記事をリライト)

 担任を受け持つと、学校における子ども達の親代わりのように接することになります。ですから、子ども達の幸せを願うのですが、それは簡単な事ではありません。学級経営というのは本質的に難しく、近年においては、その難しさは増しているというのが私の実感です。

 この記事は、学校における親代わりという面に特化して、担任教師の学級経営で必須事項について述べます。必須事項なのですが、できている担任教師は?と聞かれれば、極めてわずかというのが私の実感です。ですから、これから説明することを理解し、実践できるようになると、子どもからの愛され方が変わり、子ども達が生き生きとしていきます。

 

 

教室の子ども達が欲しているものは・・・

 長い間、具体的には21年間、小学生の姿を見てきました。そうして分かった事は、子ども達は担任の先生に「見てほしい」だけです。「教えてほしい」というのもありますが、「見てほしい」に比べれば見劣りします。

 「教えてほしい」のは「教わることで見てもらえるから」でしょう。 

 ところが、学校の先生というのは、いかに上手に教えるのか、どう分からせるかという授業論、そして授業研修というのが生命線だと思っています。これは、間違いとは言いませんが、これで完結しているということではない。私がこれまで見てきた上手な授業には、必ず子ども達の見取りや関わりがありますから。

 

 ところが、公開授業などで先生の授業を見ている先生を見てみると、授業をしている先生がどのように授業を展開しているのかということに注目しています。そして、授業内容が分かったら良い授業だ!ということになります。

 授業者もまた、参観者の目を気にしている人が多く、子ども達というよりも参加者の目を気にして「見ている」状態です。 

 

 公開授業としてはそれで良いのでしょうけど、子ども達の幸せは?と聞かれれば、人の目を気にしたり、授業者の所作を見て完結ということにはならないと言いたいのです。 

※ただし、本当に素敵な授業は、授業の中で分からせながら、さらに子ども達も見ています。 

 

 子ども達は「見てほしい」のです。ですから、子ども達の幸せを願うなら、子ども達をよく見て、授業や学級経営を適切に運営するということです。決して、知識をたくさん与えて、子ども達の学力が向上すると幸せになるという短絡的なことではないということです。 

 

幸福を願うなら必須項目

 子ども達が「見てもらいたい」なら、担任は「見れば良い」ということになりますが、実は、これがとてもとてもとても難しいのです。なぜなら、以下の事を理解するのは難しいからです。

 

・何を見るのか?

・どこを見るのか?

・どうやって見るのか?

・なぜ見るのか?

・見てどうするのか?

・見たら何が起こるのか?

・そもそも「見てる」ってなんだ?

 

 上記の事は、深く深く考えていくと、ひとつひとつがとても難解です。きちんと理解し、実践し、その意味や具体的な手法が分かるまでに時間がかかります。ですから、難しいんだと言うことだけ押さえておいて、とりあえず、放っておいてOKです。 

 難しいことを考えると疲れちゃうので、幸福を願うための必須項目 + 担任がやらないことを、ひとつだけご紹介します。

 

 それは、「見ようとすること」です。

 

 実は、多くの人が勘違いをしています。どんな勘違いかというと、「自分は見ている」という勘違いです。多くの人は、ただ見てるだけ(きちんと見れている人もいますよ)。それは目撃しているということに過ぎません。子ども達は、目撃されたいわけではないのです。

 

 人は、見ようとしないものは見えません。

 見ているつもりにはなっているかもしれませんが・・・。

 

 毎日、見ようとしてください。見よう、見ようと努力していけば、やがて上記に書いた難しい内容も理解し始めます。そして、見えるようになってくると、子どもたちへの接し方も自然と変わります。 

 とりあえずは「見ようとすれば良い」ので、やってみてください。子ども達が幸せそうにしてきたら、「見ることができるようになってきた」と自己判断しても大丈夫です。