Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の21年間の実践理論

教えないという教え

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 冬休みになりました。このブログは教育特化ブログなので、少しは真面目に教育について書くことにします。でも、あんまり人気ないんですよね~、教育は。それは「教育なんてされたくない」という単純な理由からだとは思いますけど。アレルギー反応みたいなものでしょうかね。でもまあ、書くことにします。

 

「教えない」という「教え」

 教師は教えるのが仕事ですから、できるだけ分かりやすく教えることを技術として身につけます。教えるのが上手な先生は、良い先生であることの必須条件の1つと考えられていると言っても過言ではありません。

 教え方が上手だと、確かに子ども達は覚えるでしょうし、勉強も楽しくなるでしょう。勉強が分かるというのは、勉強が楽しいということに繋がりやすいので。

 しかし、上手に教えて分からせたことというのは、案外すぐに忘れます。

 

 もう何年も前のことになりますが、小規模校で勤務していたときのことです。

 少人数でしたので、私はあの手この手を使って教えました。教えて、やらせて、ほめて伸ばすという手法はもちろんですが、教えたことをアウトプットさせてみる、つまり問題をやらせたり、分かった事を発言させたりなどもしました。家庭学習や宿題も課し、子ども達の学力は多いに伸びました。

 6年生の全国学力状況調査においては、全国平均を多いに超え、そのことが子ども達の励みにもなり、保護者も喜び、学校としても胸を張れる状況です。

 ヨカッタ、ヨカッタと言って、タノシカッタ、ジュウジツシテイタと言って、子ども達は卒業し、中学校のステージに行きました。

 

 1年後ぐらい経ち、久しぶりに小学校に遊びに来た卒業生に、中学校での学業はどうなのかを聞く機会がありました。

 すると、成績はガタ落ちで、下から数えた方が早いということでした。

 他の子も同様に、小学校での理解が夢であったように、その子なりの場所に落ち着いているのです。

 

 このことが意味することは、たくさんあります。

 たくさんあるのですが、結論だけを言うなら「教えても覚えない」ということになります。その結論から「教えない教え」ということが必要であるという理解に至ります。

 

教えることは害になりうる 

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 まず最初に誤解のないように付け加えますと、「教える」というのは必要だということです。教えること、そのものには全く反対していません。しかし、教え過ぎたらだめだということで、つまりは程度の問題です。

 最初にも書きましたが、分かりやすく教えたはずで、その時はできたはずだとしても、子ども達は案外すぐに忘れます。分かりやすく教えた分、ありがたみもなく、忘れてしまった事に対する喪失感もなく忘れてくれるのは当然です。簡単に手に入ったのだから、失う事への喪失感などないのです。

 アウトプットさせたり、忘却曲線が示すような理論を使って繰り返すと、覚えている期間は長くなりますが、忘れやすいと言うこと自体は変わりません。

 大人の皆さんもよくよく思い出してみれば、すぐに腑に落ちるはずです。

 あんなに勉強した微分・積分を覚えていますか?

 サイン・コサイン・ダンジェントなんて、意味すら怪しい・・・。

 テストが終わったらすぐに忘れ始めるということも経験しているはずです。

 

 では、どうすれば良いのかというと、必要なことだけを教えるということになります。基本だけを教える。教えなくては分からないことや教えなければ気づけないことだけを教えるのです。「基礎・基本」は教えなくてはなりません。

 すると「基礎・基本」はなんだ?ということにもなりますが、とりあえずは横に置いて話を進めます。

 

 最小限度の事を教えたら、次に取り組むべき事は、自分の頭で考えさせるということです。手を貸しすぎず、あくまで自分で進ませるという過程が必要になります。そして必要ならヒントや考え方を与えるのです。それも、自分で使えるようにです。

 すると、子ども達は自分で発見します。発見したとき、子ども達の目は輝きます。「分かった!」と、とても嬉しそうにすることを見ることができるでしょう。それは時間がかかるでしょう。それは遠回りな考え方になるかもしれません。

 でも、大切な事は、自分で発見することが出来たということです。

 自分で発見したということは、本当に理解したということであり、本当に理解した事というのは忘れにくいのです。たとえ忘れたとしても、一度自分で発見したのなら、また発見することはたやすくなります。さらに、自分が苦労して手に入れたものですから、忘れる訳にはいかない!なんてことも起こります。

 苦労して手に入れたお金は大切に使うという例で考えると分かりやすいかもしれませんね。あるいは、どうしても欲しかった物を苦労の末に手に入れたのなら、大切にするということでも分かりやすいかもしれません。

 自分自信の経験で考えてみてください。

 

教えるけど教えない

 私は教師だから教えます。必要なことは教えます。基礎・基本においては、全員が理解できるように、様々な手法を使って教えます。

 しかし、教えられ慣れすぎた子ども達は、教えてもらうのが当然であるかの如く、他者依存の状態になりかねません。

 違うのです。教えることはできるけれども、教わるのはあくまで子ども達自身です。自分で教わりたいと思っていない子に、いくら教えても効率が悪いばかりか、やっとのことで理解させても、すぐに忘れてしまいます。2日間もあれば十分に忘れてくれます。忘れてもすぐに先生が教えてくれるとか、覚えないのは自分が悪いのではなく、教え方が悪いみたいな理論も持ち出すかもしれません。

 全く違います。

 学問というのは、最終的には自分でするのです。自分の頭で考え、自分から教えを請い、自分で見つけ出すという過程が必要なのです。

 そもそも、教育は子ども達の自立を促すものです。いつまでも側にいてあげることなどできないのですから、少しでも自分の足で歩けるようにするのです。

 

 だから教師は、子ども達が自分で学ぶのだと気づかせること、自分で考えはじめたら見守るという愛情が必要なのです。

 

 パズルを一緒にやろう!と小さい子は誘いますが、ある程度できるようになったら、手を貸すのを嫌がるようになります。ただ、側で見ていてもらいたいだけになります。つまり、人はだれでも自分の頭で考えたいのです。

 パズルとブロックは、色々な意味で教育的な玩具ですよ。