Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

結婚はコスパがいいと考えている人

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 あるテレビ番組で「結婚はコスパがいいからしようと考えている」と言っている若い女性の特集があり、視聴させてもらいました。「恋愛は必要ない」とか「イケメンとか私には分からない」とも言っていました。色々と間違えていますが、きっと世の中にはこのように考えている人も多いのだろうなというのが私の感想で、そうであるのなら、きっと混乱が続くでしょうから、「結婚はコスパではない」という勇気を持ってもらうために軽く書いてみることにします。

 ちなみに「結婚はコスパであって、恋愛は必要ない」と思っている人は、間違えてはいますが、そう思っているそのことについてはそれでかまわないということを最初に言っておきます。別に誰にも迷惑をかけているわけでもないので・・・。ただ、本人がいずれ苦しくなるでしょうから、私は書いてみるだけです。

「ちがう! 結婚はコスパであって、恋愛は必要ない!」と強く否定する場合は、読まない方がよいかもしれません。

 

結婚と恋愛

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 恋愛結婚が生まれたのは、長い歴史から見れば、ごく最近のことです。

 日本においてもお見合い結婚が主流だった時代が長かったわけですから。

 そして、恋愛結婚の登場によって、恋と愛と結婚が混同されるようになります。

 まず最初に理解しなければならないのは、恋と愛は違うということです。

「恋は盲目」とは言いますが「愛は盲目」とは言いません。

 全く別物です。別物ではありますが、連続している部分もあるというのが正しい認識でしょう。愛を知るためのレッスンとして恋が存在していると考えると分かりやすいでしょう。

 

 結婚と恋愛が別物ということについて、さらに区分してみます。

「結婚は生活」で「恋はロマンス」ともよく言われることです。まあ「結婚は生活」というのも、結婚に関する一側面についてだけを述べているので、それだけではないのですが、とりあえず分かりやすくするために、生活だけにフォーカスしてみます。

 ここをよく見てください。

「結婚は生活」と「恋はロマンス」。

 では「愛」は?

 何を言いたいのかというと、「結婚」と「恋」と「愛」は、それぞれ別物だということです。より深い部分では繋がってますが、本質的な部分については属性が違います。全ては「愛」に向かってはいますが、その入り口として「恋」と「結婚」があると考えると分かりやすいかもしれません。より深い部分が「愛」であり、属性の違いが「結婚」と「恋」ということです。

 だから「恋」から入って「愛」に向かうこともできるし、「結婚」を入り口にして「愛」に向かうこともできます。

「結婚に恋愛は必要ない」という主張は、「愛」に向かう入り口の選択を言っているだけであって、そもそも必要があるかどうかの問題ではないでしょう。

 もっと割り切って、結婚したいのなら結婚について考え、恋をしたいのなら恋について考えればよいだけなのですが、2つの入り口を混同するからややこしくなるのです。

 そして、結婚はしようと思うことで可能になるかもしれませんが、恋はしようと思ってするものではなく、落ちるものです。「恋に落ちる」という表現があるように、自分の意志ではどうすることもできない代物です。

 ちなみに、どこからどこに落ちるのかと言えば、頭から心に落ちるのです。理性から感情に落ちるがもっと正確な表現になるでしょうが、簡単に言うと、色々と考える理屈から、理屈では説明できないところに落ちるのです。そして、それは落ちるというよりは昇るが正しい表現でしょう。恋をしている人は生き生きとしているのが見えるでしょう。落ち込んでなんていないのです。つまり落ちてはいない。

 自分でも説明のしようがない高揚感みたいなもの、それは説明のしようがないのです。そもそも理屈ではないのですから。頭では考えられないという単純な理由で、唯一、判断力が落ちます。

 

 話を戻します。

 そうすると「結婚はコスパ」だという主張も、一応の説得力があります。恋愛と結婚は別物なのですから、結婚の理由をコスパ重視、つまりは条件重視とすることも筋が通ります。結婚を生活とすればそうなるということです。

 しかし、先ほども述べたよう「結婚は生活」とは1つの側面にすぎません。最終的には恋と同じように「愛」に向かいます。「愛は無条件」なのですから、「コスパ重視の結婚」を落とさない限り、「愛」に向かうことは極めて困難です。

 

それが恋です

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 その女性は、インターネットのお見合い相談アプリで婚活を始めました。担当者と相談しているところがあったので、きちんとお金を支払って、本当に結婚をしたい人たちの真面目な活動です。

 女性は担当者に条件を伝えます。詳しくは分かりませんが、年齢や収入などでしょう。結婚はコスパだと考えているのですから、将来の生活設計を重視するのは当然であり必然でしょう。

 テレビのディレクターらしき人が質問します。

「外見とかは気にしないんですか?」と。

「外見は気にしない。イケメンとかって、私には分からない。イケメンとか言われても、ああ、こう言う人がイケメンって言われるんだ~と思っちゃう。」

 と、正確ではありませんが、このようなことを述べていました。

 

 さて、婚活アプリを使って、無事に10人以上とネットお見合いをというものをすることになった彼女は、きちんと身なりを整えて、1人目とモニターを通じて対面します。その時、まさに最初の人と対面する直前、彼女は自分が示している条件の1つが、その男性から落ちていたことに気づきます。

「ああ、そっか。見落としてた・・・。」と。

 そして「消化試合だからいっか。」とも。

 お見合いはスタートし、テレビスタッフは邪魔をしないように部屋からそっとでます(こういう配慮が素敵だな~と別の感想を持ちました)。

 

 40分後、お見合いが終わりテレビスタッフが「どうでした?」と質問します。

「どうしよう・・、めっちゃいい人だった。・・・消化試合のつもりだったんだけど。」

 もうね、表情が、その瞳が完全に恋に落ちています。

 

 予定通り10名以上とモニターお見合いをした彼女の最終的な判断は

「やっぱり最初の人よりも素敵な人はいなかった。」ということであり、そして、その最初の人とは毎日連絡を取り合い、リアルデートもするようになったということでした。

 

 いいですか。それが恋です。

 

 その女性は、番組の冒頭で、一度も彼氏がいたことがなかったと言っていましたから、初めて恋を経験したのです。恋の経験をした人だけが、恋とは何かを知るのであって、知らないから「恋愛は必要ない」と言っていたのでしょう。

 そして「恋愛は必要ない」という場合も言葉としては間違えています。

「恋」と「愛」は区別して使う方が言葉として正確です。

「恋は必要ない」と「愛は必要ない」を比べてみてください。

「恋」と「愛」のスケールの大きさの違いに感覚として気づくでしょう。

 

最後になりますが・・・

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 最後にどうでもよい話ですが、「外見は関係ない」と言っていた彼女の主張は本当でしょうか?

 世間の言う「イケメン」かどうかには影響されないとしても、外見は本当に関係なかったのでしょうか?

 彼女は、モニターお見合いの前に、きちんと身なりを整えていました。自分自身の身なりを整えたということはね、自分は身なりが大切だと思っているのです。自分が大切だと思っていることは、必ず相手の中にも見つけようとします。

 残念ながら、テレビ番組の中ではそのお相手の顔は出ていませんでした。

 だけど彼女の目の輝きを見れば、きっと外見もヒットしたのでしょう。

 だからね、「恋愛はいらない」とか「外見は気にしない」とか、そういうことは、それを言った時点で気にしているのです。本当に気にならないのなら考える事もしないでしょうから。

 

 素敵な番組でした。

『恋愛は必要?』というタイトルの番組でしたが、『恋を知るとどうなる?』というタイトルの方が合っているような気もしました。

 ちなみに、もう1人、違うパターンの女性(夢見女子というそうです)も出ていましたが、それは気が向いたら書きます。

 

 恋に関する記事はあまり書かないのですが、たまにはいいかな?

 教育特化ブログという特色があやしくなってきました。