Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の21年間の実践理論

時間圧縮

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「楽しい時間はあっという間に過ぎる」と人はよく言いますが、なぜそうなのかについては理解されていません。これを「時間圧縮が起こっている」と仮に定義して、なぜ時間圧縮が起こるのか、そして時間圧縮が起こると時間拡大が起こるという一見矛盾したことが起こることについて書いてみようかな?と思ったので書いてみます。「時間って不思議なだな~」と思ったことのある人にとっては興味深い内容になると思います。

 

はじめ「時間は相対的な尺度だという理解」

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 時計の針は規則正しく動いています。だから1分なら誰にとっても1分です。そのことについては誰も覆すことはできません。ですから時間圧縮といっても、現実世界で時間が歪むということではありませんので、まずはそこを確認しておきます。

 しかしその一方、同じ1分でもある人にとっては長く感じ、ある人にとっては短く感じるということがあります。また、つまらない話は3分でも長く、面白い話は1時間でも短く感じるということもあります。

 これが時間の相対性、自分の感じ方によって時間圧縮が起こるということで、アインシュタイン博士の言う相対性理論のような難しい話ではありません。

 今回の記事で言うところの「時間の相対性」は、科学的な相対性ではなく、自分の感じ方に特化した相対性です。深いところでは繋がっていそうですが、とりあえず難しいことは横に置いておいて、自分がどう感じるかということについての理由を述べていきます。自分自身で自分の経験と照らし合わせ、確かめながら読んでいただけると嬉しいです。

 

本文1「自分の経験を思い浮かべてみましょう。」

 まずは簡単なところから話を進めてみます。

 楽しい時間を思い出すのが良いのでしょう。思い出すと嬉しくなるので、それを思い浮かべるのが簡単だからです。

 楽しい時間を過ごしていると、当事者たちはあっという間に時間が過ぎてしまいますが、実際の時間、現実時間は規則正しく動いています。「もうこんな時間?」という台詞を一度でも使ったことがあるひとなら誰でも分かります。 

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 私が友だちと将棋をしていた時のことです。

 真剣に対局すると1時間は越えます。

 1時間以上もかかる対局(将棋界では1時間は短いですが・・・)、おまけに実際に動かすのは手と駒だけで、ほとんどの時間は沈黙しています。思考は激しく動いていますが、見える動きはわずかです。

 対局が終わると、対局者は「とてもおもしろかった」という感覚になりますが、将棋に全く興味のない人にいつも言われ続けてきたことは、「ずっとだまってて飽きないの?」だったり「長いね~」だったり「疲れないの?」だったりと、概ね否定的な内容です。

 つまり、興味のない第3者から見れば、1時間以上も座ったままで、ただ将棋盤とにらめっこしているようにしか見えないということで、将棋の内容も分からないからつまらない時間となるのです。でも、当事者たちにとっての1時間は1時間に感じないどころか、全然足りないということにもなってしまいます。また、その対局を将棋に興味のある第3者が見ている場合は、やはり長く感じません。同じ時間軸に居るためです。

 

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 楽しい飲み会はどうでしょうか。

 楽しめている人にとっての2時間はあっという間どころか足りていない。だから2次会に行こう!なんていうことにもなりますが、飲みに出かけている人の帰宅を待っている人にとってはどうでしょうか。「2時間も飲みに出たんだからもう十分でしょ?」ともなりがちです。

 また、同じ飲み会の場にいたとしても、ある人にとってはあっという間の2時間であり、ある人にとっては苦痛に感じる2時間だったりもします。

 

 ディズニーランドはどうでしょうか。

 私はそれほどでもありませんでしたが、「また行きたい。」という声や「ランドにいると時間を忘れてしまう。」という声もよく聞きます。かつてポップコーンを買うために30分以上も並んだことがありますが、この表現だって否定的です。言う人に言わせれば30分など並んだうちに入らないということみたいです。

 30分を長いと感じるか短いと感じるかもまた相対的で、時と場によっていとも簡単に感じ方が変わってしまうのです。

 

 こうやって、自分の経験を思い浮かべていくと、時間が相対的であること、時間圧縮が起こっているということが理解できると思います。3つしか事例を出しませんでしたが、これらは例え話の一部にすぎないので、自分の経験でたくさん思い浮かべてみると、理解が深まっていくと思いますので、想起してみてください。

 

本文2「楽しい時間だけで起こるわけではない。」

 楽しい時間で思い浮かべることができたら、当然ですが疑問が出てきます。「別に楽しいと思っていなくても時間が短く感じられることはあるよ」と。

 それは「楽しい」という内容がみんな違うからであって、「楽しい」という言葉が曖昧で、言葉の制限があるためです。ですから「楽しかったら時間圧縮が起こる」というのは正確な表現ではないのです。そして、どのように表現してもなかなか難しいところはあるのですが、「心が心地よく揺れ動いている時間」ぐらいが表現としては近いかもしれません。

 うん? それも表現としては網羅できていませんね。「心が激しく幸せを感じながら震えている」というような時にも時間圧縮は起こりますから。

 うん? それでも不十分かな。やっぱり言葉で説明するのは難しいですね。

「何かに集中しているとき・・・・」はどうかな?

 例えば読書に集中している時、例えばスポーツに集中している時、時間圧縮は起こっています。でもマラソンは?と聞かれたらあやしいかなぁ~。

 うーーん、うーーんと考えた結果、もしかしたら「無意識になれたとき」が表現としては適切かもしれないなとひらめきました。

 

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 例えば「眠りについたとき」はどうでしょうか。

 完全なる無意識状態になります。無意識とは我を忘れているという状態です。目を閉じ、目を明けると朝になっています。深い眠りであればあるほど、激しい時間圧縮が起こっています。

 そして、深い深い眠りにつけた翌朝には爽快感があります。

 何かに集中するというのは完全に意識的ではありますが、我を忘れて没頭している状態ですから、自分自身に対しては無意識になっているということです。その我を忘れやすいのが楽しい現象であり、夢中になれることでもあり、それはつまり、心が揺れ動いている状態ということに繋がっています。

 その結果、深い睡眠の翌朝のように、我を忘れて没頭し、時間圧縮が起こった後には深い達成感みたいなのが感じられるというわけです。

 繰り返しますが、現実世界での時計は規則正しく動いています。でも、それをどう感じるかはその人の状態、あるいは時と場によって常に変化しているのです。

 どうでもいい話になりますが、この記事を書き始めてからすでに30分を経過しています。しかし、打っている私自身の感覚としては5分くらいに感じられています。その私の言っている5分ですら相対的ですから、何かの5分を基準にしなければなりませんが・・・。

 

本文3「時間圧縮のあとに時間拡大が起こる。」 

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 一見矛盾していますが、全く矛盾していません。

 あっという間に過ぎてしまう時間圧縮はなんだか損をした気分にさえなりがちですが、振り返ってみたら、実にたくさんのことをしています。たったこれだけの時間でこんなにもたくさんのことが起きたのだと理解できるはずです。

 それは、時間圧縮が起こっている瞬間は、まさに今を生きているということで、それを過ぎれば全ては過去になるということです。過去になったその出来事たちが多ければ多いほど、思い出すにも時間がかかりますから、そういった側面からも時間の拡大が起こります。

 それは「思い出すに値する出来事」あるいは「思い出したい思い出」が多いということでもあります。それは充実してたからです。もう一度あの感じを感じたいみたいな感じでしょうか。

 その思い出したいことがたくさんあるという単純な理由から、1週間を振り返ると1週間前が随分遠くに感じるということも起こるわけです。これが時間拡大で、時間圧縮とセットで必ず起こります。

 そしてその逆も起こります。

 今この瞬間を楽しめず、集中できず、ただなんとなく時間を過ごせば、その時間は拡大して感じられます。つまらない話は長く感じるし、退屈していればなかなか夕方になってはくれません。時間拡大が起こっているのです。そして振り返ったら、その拡大した時間の中に何もない、思い出したいことが存在していないということで、あっという間に思い出し終わるというよりも、思い出したいことが何もないので、例え1週間でもつい昨日のことのように感じられるのです。

「1年間はあっという間だった。」と言うのは、「1年間、何もなかった。」と言っているに等しいのです。「歳を取ると、年々早く感じられるようになった。」というのは、「歳を重ねる事に何もなくなってきた。」と言っているのです。実際には何かあるのですよ。でも何も感じなくなってきたぐらいが表現としてはあっていそうです。

 

 ちなみに、時間圧縮が激しく起こると、理論上は時間が止まります。止まって感じると言う方が正確ですが、本人の時間間隔が止まるということで、時計の針は進み続けているという大きなギャップが生じるといことです。ロマンス映画などでは、このことを表現しているものが多くあることを思い出せると思いますよ。

 

おわり「時間圧縮が起きているなら充実していた。」

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 年度末になっています。次の1年がもうすぐ始まりますので、振り返ってばかりはいられないのですが、ちょうど良い時期ですので、新たな活動への活力として1年を振り返ってみることをお勧めします。

「1年間、色々あったな~。」という人は、時間圧縮と時間拡大が同時に起こっているという証拠ですから、どうか自信を深めてください。でも、逆の「時間拡大→時間圧縮」が起こっていたとしても問題はありません。取り返せます。

 私の言う取り返すとは、2つの意味があります。

 1つ目は、次年度に活かすという取り返し方。つまり、活かせなかったから次は活かすようにしようと決めることに役立てるという意味。言葉そのままに「取り返す」ということで、「失敗は成功の母」という言葉が分かりやすいかもしれません。

 2つ目は、実は思い出していないだけで、思い出そうとすれば思い出せます。つまり、何もないと思っていたとしても、本当は色々あります。思い出すことで取り戻してみるのです。解釈を変えていくという方法。

 例え「何もしなかった」という人であっても「何もしないということをしている」のです。表面上は何もしていなかったとしても、まあ、色々考えてはいるでしょうから。

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「いえ、ただボーっとしていただけです」という人がいるかもしれませんが、それこそ素晴らしいではないですか。ボーっとするのは難しいですから。リラックスし、何も考えずにいると言う状態を「瞑想」とも言います。

 ※ただし、瞑想そのものは奥が深いので、あくまでその一部です。

 ※写真はボーっとしていませんね。何だかややこしいことを考えています。

 

 結局のところ、時間圧縮や時間拡大は誰にでも起こっていますので、要は意識化できるかどうかにかかっています。是非、楽しみながら自分の1年間を振り返ってみてください。 

www.nayunayu.com

  以前に同じような記事を書いていましたので、関連でつけておきます。

 時間に興味がある人は、今回の記事よりは軽いので気楽に読んみてください。