何がなんだか分からないという「完全混乱」の経験がある人のための記事です。あるいは身近な人に混乱している人がいて、なんとか助けたいと願っている人の為の記事でもあります。ですから、混乱していない人にとっては全く必要のない内容になりますので、混乱しないために読まないことをお勧めします。
完全混乱
混乱することは悪いことではありません。
まずはここを理解するところからはじめます。
混乱するということは、今までの考え方では処理できなくなったということです。混乱しているのなら、自分の予想を超えていることを経験しています。混乱すると苦しくなるので、なんとかしたいと願います。でもどうすることもできないから混乱しているのです。
これは一般的には苦しいという単純な理由から、悪いことが起きていると判断してしまいますが、そうではありません。混乱しないと分からないのです。その混乱がほとほと嫌になったり、どうにかしたいけどどうにもならなくなったとき、光が見えるということが起こります。
それは今まで信じていたことが崩れ落ちる瞬間であり、執着していたものを捨てざるを得なくなった瞬間であり、認めたくなかったことを認めざるを得ないと諦めたときに起こります。そのための混乱です。
そして、完全混乱とは八方ふさがり。いよいよ追い詰められたということです。逃げ道はなく、どうすることもできません。すると、どうすることもできないという理由から何もできません。つまり、何もしないというのが最後にやってくる光です。
完全混乱とは、あれもだめ、これも無意味という状況で、今までの経験の全てをもってしても解決しません。すると、自分の経験の全てを投じてもダメだという理由から、自分のこれまでの経験にはない新たなことを選ぶしかありません。それが光です。
完全混乱は錯乱しています。余りにも苦しいので我を忘れ無意識状態になります。自分でも何をしているのかさっぱり分からなくなるくらいです。意識して生きるのは辛すぎるので無意識状態を自分で作り出します。しかしそれでも苦しみから逃れることはできません。でも、無意識に至ることで無意識な自分が登場してくれます。それが光です。
つまり、考えて考えて、考え抜いたとき、その考えが落ちるのです。それは、考えても仕方がないと悟るのです。そうして残ったものは、ただどう感じるかということだけで、その感じる事を覆い隠すために考えが混乱の口実を生み出しているのです。だから、完全混乱すること自体が光だとも言えます。
まだまだありますが、ここでいったんまとめますと、混乱するのは「今の自分では苦しい」というサインです。大抵は外側にその理由と解決策を見つけようとしますが、おおよそ八方ふさがりになります。自分の内側にあるものを見つめない限りは解決策を見いだすことは不可能だからです。
自分の内側にあるものを見つめるというのは、自分が信じていることを疑うということであり、自分が大切にしてきたものを捨てるということに繋がりやすいため、なかなか認めることができません。そのため混乱しなければ分からないのです。その混乱が教えてくれていると解釈して間違いありません。
混乱しているのなら、完璧に変わろうとしています。
変わればよいということでもありませんが、少なくとも、混乱しているという事実は、今の自分では苦しいということを言っているのですから、変わるしかありません。先送りとか見ないようにすることはできますが、完全混乱はそれすら許してくれません。凌いでも塞いでも止めることができなくなった状態です。
ですから完全混乱は悪くないのです。むしろ良い兆候でしょう。
例えば「本当に困ったら分かる。」という言葉を聞いたことがあると思います。あるいは「失敗するまで分からない。」という言葉も聞いたことがあると思います。この場合の「困る」とか「失敗」という言葉も、一般的には悪いこととして解釈しがちですが、よくよく考えてみれば、何かが分かるためには必要なことであり、通過しなければ絶対に分からないということになっているはずです。
自分で完全混乱から抜け出すためには・・・
方法はひとつではありませんが、ひとつしかありません。
矛盾しているように見えますが、矛盾はしていません。
つまり、自分の内側に入っていくというのが唯一の方法であり、その入り方はひとつではないということです。
そもそも混乱を自分で抜け出すのは相当難しいので、ほとんど不可能に近いレベルです。唯一可能性があるとすれば、ほとほと混乱が嫌になったとき、つまり完全混乱に飽き飽きしたときです。これが起こるまでは混乱し続けるしかないでしょう。
自分の内側に入っていく最初の道は「自分は混乱しまくっている。」ということを認めることです。どうすれば認めたということになるのかというと、自分は混乱していても完全にOKだと思えるまで、自分で自分に言い聞かせ続けることです。
次に「混乱していてもOK。」だと本当に思えたら、その兆候として「自分は混乱している。」ということを全く考えられなくなります。つまりは混乱の消滅です。そして、その混乱が消滅したときは、本当の問題に直面しているはずです。混乱の代わりに寂しさであったり、孤独感であったり、深い失望感であったり、無意味感であったり、人によって様々でしょうけれども、見たくなかったものが見えています。見たくなかったから混乱に至ったと、その頃には理解できているはずです。
最後に、その様々な想いを混乱と同様に全て認めていきます。本当に認められたものから消滅していきます。
それで終わります。
とても長い道のりになるでしょうけれども、進み始めたら戻るということは起きにくいので、一歩でも進めば自動的に進んでしまうという特性もあります。どれぐらいの時間がかかるかと言えば、人にもよりますし混乱の状態にもよりますが、完全混乱しているのなら、かるく見積もっても1年間はかかるでしょう。でも、ただの混乱なら放っておいて40年間の物語になるでしょうから、完全混乱のおかげで相対的には早まるということが起きます。
混乱は全く悪くないので安心してください。
・・・全く説得力がないことも承知の上で書いています。
他者の完全混乱を助けるためには・・・
もうほとんどできることなどありません。
その混乱は、その人の大きな課題だからです。
その大きな課題に取り組んでいると理解してあげるぐらいでしょうか。
混乱しているあなたでも、私はOKだと思っているよというメッセージを送り続けるぐらいしかできないでしょう。その人の代わりにその課題を解決することはできませんから、せめて話を聞くぐらいでしょうか。でも、聞き方というのもありますから、簡単ではありませんし、聞けば聞くほど、混乱の矛先が変わってしまったり、依存が発生したりもします。
「そっと見守っている。」という状態でいることしかないでしょう。先ほど説明した通り「混乱しているならOKだ」という認識をもってという条件がつきますが・・・。
もし、本当に心から誰かの混乱を抜け出す手助けをしたいと願うなら、相当な覚悟が必要ですが、一応2つほど道はあります。
1つ目は、話を聴ける人を見つけることです。専門家にお願いしましょう。
2つ目は、自分が話を聴ける人になることです。
1つ目は探す労力やお金がかかります。2つ目は自分自身がそうなるということなので相当な苦しみを通過しなければ到達できません。不可能ではないのですが、相当難しいので、どちらも安易にお勧めしているわけではなく、できることは「混乱しているあなたを私は受け入れているよ。」というメッセージを出してくださいということです。
それが現実的に他者の完全混乱に差し伸べられる方法でしょう。
繰り返しますが、その差し伸べた手に「混乱は悪い」というメッセージを載せないでください。手を差し伸べる人は、混乱はOKだと理解しないで手を差し伸べたら逆効果になりますので、自分で本当に理解できるまではなにもできません。