Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の21年間の実践理論

読書がたどり着けない場所

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 読書は大切です。これに異論はありません。しかし、読書すればたどり着けるかと聞かれれば、たどり着けない場所があるというのが私の至った答えになります。読書がたどり着ける場所とそれだけではたどり着けない場所がある。今回はそんな真面目な記事です。読書って何なんだろうなあ~と少しでも考えたことのある人なら共感できるかもしれません。

 

読書をする理由

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 まずは読書をする理由を簡単にまとめてみます。

 読書をする理由は人それぞれですから、これが理由だなんて言うつもりはありませんが、だいたい次のような理由に分けられるのではないでしょうか。

1 読書が楽しくて面白いから。

2 何かの知識を得たいから(勉強のため)。

3 暇だから。

4 読めって言われたから(あるいは紹介されたから)。

5 読んでいる自分が素敵だと感じるから。

 これらの理由は、1つということではなく、合わさっている場合がほとんどです。面白いし知識も得られるからとか、暇な時間を解消できてさらにおもしろなら一石二鳥であるとか、さらに読んでいる自分は素敵だからとか。

 他にも理由はあるかもしれませんが、一般的には読書は良いことだとされていますし、これに異論はありません。

 ちなみに私の場合は、読書が面白くて知識を得たくて暇な時間があるからです。

 暇な時間というと、とたんに表現が悪くなりますので、読書する時間を生み出しているという表現にしておきましょうか。これだと、忙しい合間をぬって読書をしているという感じを持たれます。ただ、読書をする時間があるということには変わりありませんが・・・。

 

読書すると良いと思える理由

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 では、読書をすることでどんな良いことがあるのでしょうか。

 良いことがなければ、人は勧めませんし、良いことがないのに読書はしませんから、最初に書いた読書をする理由と照らし合わせて考えてみます。つまり、読書で得られるものは、読書をする理由の反対になっています。

1 面白い疑似経験ができる。楽しいと感じる時間を過ごせる。

2 知識が豊富になる。

3 暇な時間を解消できる。

4 読めと言った人が褒めてくれる、あるいは認めてくれる。

5 自分って素敵だな~と思えるし、ついでに周りからも博識だと思われる。

 どうでしょうか、良いことだらけだと思いませんか?

 しかし、このように書き出してみると、ちょっと否定したくなる項目が出てきます。それは3番~5番の内容です。できれば1番と2番だけにしたいし、そういう自分で在りたいとも思うでしょう。

 そこで、今回はこの1番と2番に焦点を絞ってみます。

 ちなみに、3番~5番は論じるならば奥が深くなるので、また別の機会に気が向いたら書くことにします。

 

読書がたどり着ける場所

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 図書館です。

 冗談です。

 見えない場所のたどり着ける場所について説明します。

 

 読書を勧める人は、必ず読書をしています。

 自分が読書をして良かったので人に勧めるのです。

 では、何が良かったのかというと、3番から5番は言いにくいので、1番と2番になるはずです。つまり「面白いよ。」と「勉強になるよ。」の2つです。

 

 まずは「面白い」について。

 これは全くの異論はなさそうですが、少しだけ付け足します。

 ある人が面白いと思って読んだ本が、他の人にも面白いということにはならないということ。あるいは、面白いと思った箇所が全く違うということ。あるいは、勧められた人はちっとも面白く感じなかったなど、様々な反応が起こります。

 面白いかどうかは、読み手が決めるのです。

 加えて、読み手が決めるという単純な理由で、同じ読み手であっても、読む時期によって感じ取る内容は完全に違います。昔面白くて読んだ本が、今読んだらたいしたこと無かったとか、昔は分からなかったけど、改めて読み返したら面白かったなど、読書をしているのなら経験しているはずです。

 まとめると、面白さというのはひどく曖昧であり、読み手に委ねられており、常に変動していて、それで「イーンダよ!」ということです。

 実はこれ、結構いいことを言っているんです。

 これを理解すれば、面白くなければ読むのをやめればいいということになります。小難しい本を面白いと思い込む必要はなく、今の自分には分からないと素直に認めてしまって、自分が面白いと思う本を読めばいいだけですから。

 

 次に「勉強になる」について。

 今回はこれが本丸です。

 読書がたどり着ける場所にある「知識」のお話です。

 その「知識」が読書がたどり着ける場所の限界点で、その先にはたどり着けないのです。では、その先にある「たどり着けない場所」は何かと言いますと「智慧」です。本当に分かるということ、本当に理解したということ、日常生活において使い物になる知識ということ、その知識を活用して世の中を見通しているということ。

 言い方はなんでもいいのですが「知る」と「分かる」の違いです。

「知る」までは読書はたどり着けます。でも「分かる」のは自分なので、分かるまでを教えてもらうことはできません。どこかのタイミングで自分で理解するしかないのです。

 

 先日、実家に帰ったときに、私の母親と議論しました。

 母親は「知識は大切だ。」と言うので、私は「大切だということは否定していないよ。だけど、知識は分かるための入り口に過ぎない。」と言ったんです。

 それから、あーだこーだと議論を重ねましたが、長くなるので割愛します。

 

 どうも世の中は「知識」が最も大切だと思い込んでいるような節があります。

 知っていることが重宝されすぎているのです。

 私が今回主張したいのは、知っていることは入り口であって、本当に分かっていることなら問題ないのですが、本当は分かっていないのに生半可な知識を披露してもらってもしかたがないということです。

 読書は、その危険性を孕んでいるのです。

 いえ、読書には危険性はありませんでした。読書をしている人の態度に危険性があります。読書をして知ったつもりにはなれます。でも、知ったからと言って分かったということにはならない。それを勘違いしてしまう人は危険です。

 もし読んで知ったら分かったということが起こるのであれば、例えばゴルフの解説書を読んだらゴルフが上達したとか、水泳の本を読んだら泳ぎがうまくなったということが起こるはずです。

 でも、読んだだけでは起こらない。読んだ後、実際やってみて、納得して初めて「分かった!」ということになるのです。

 

 読書は大切です。

 自分が好きな理由で読めばいいのです。

 ただ、読書でたどり着ける場所と、リアルでなければたどり着けない場所があると分かっていることが大切で、まあ、そんなごちゃごちゃしたことなど考えないで、ただ楽しく読んでいればイーンデスけどね・・・。

 

「楽しいから読む。」

 ただそれだけの理由でする読書が一番良さそうだと考えているわけです。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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