NHKの報道特番(クローズアップ現代)を何気なく見ていたら、文句を言いたくなりました。テレビ番組に文句を言うのは、すでに老人であるというご意見もありそうですが、あえて踏み込んでみることにします。なぜなら、物事を片方からしか見ない人たちが増えると、逆サイドの人たちが苦しいからです。
コロナワクチンのデマ
その番組によると、ある家庭で困ったことが起きているそうです。
それは、妻が「コロナウイルスは毒である」という「デマ」を信じ込んでしまって、その集会に参加したり、我が子には打たせないということで、夫は困っているんですって。
その結果、夫は家に帰りにくくなり、本当はもっと早く帰宅できるけど、ネットカフェで深夜まで時間をつぶしてから帰宅するそうで、もうずっと会話がないということでした。
番組に進行を素直に受け止めれば、これは困った事態であり、同じようにコロナウイルスのデマに苦しんでいる家族が増えているということであり、由々しき自体であることになります。
それはつまり、コロナワクチンは絶対的に正しくて、これをデマとするのは絶対的に正しくないということになります。
果たしてそうでしょうか。
私はどちらが正しいとか、そういうことが言いたいのではなく、「どちらが正しいかなんて、まだ分からないよ。」と言いたいのです。分からないものをさも分かったように決めつけるのは、言葉の暴力に他なりません。
ワクチンは怪しい側面があるという事実
ワクチンはちょっと調べたらすぐに出てきますが、そもそも怪しい代物です。効くとか効かないとか、そういうことではなく、怪しい側面があるという事実です。どのワクチンだって賛否両論なのです。
まして、登場して間もないコロナワクチンは、未知な部分が大きすぎます。
そして、本来はどの意見も尊重されるはずではないでしょうか。
言論の自由は日本国憲法で保障されている権利ですから。
それを、コロナワクチンのデマと言い切ってしまうところが問題なのです。本当に良いかどうかなど、まだ分からないじゃないですか。だから、これは危険だという意見があっても良いのです。
現在、世の中は「コロナワクチンを打たなきゃダメだ論」みたいなのが溢れているように感じます。このように、盲目的に片方だけを信じるのは危険です。両方の意見に耳を傾け、そして最終的には自分で決めればよいのです。
特に報道は、両方の意見があるということを公平な立場で伝える立場であるはずなのです。今回のような報道を真に受ければ、コロナワクチンは毒であると主張する人たちは、全員どうかしちゃっているということになります。
かつてコペルニクスに始まり、ガリレオ・ガリレイが提唱した「地動説」は、当時の世界に受け入れられず、ガリレオは有罪判決を受けたようです。
「それでも地球は回っている」だっけな?
ガリレオはどうかしちゃっているどころか、有罪判決です。
今はどうでしょうか。
地動説は周知の事実としてみんな知っています。
コロナワクチンのデマというデマ
以上のことを踏まえると、コロナワクチンのデマと謳っていることも同じように「デマ」であるかもしれないのです。
白か黒か。
最近は、そのような風潮がありますが、私は分からないことの方が多いので、とりあえず灰色にしておこうという姿勢の方が、みんなに優しいと思います。
だって、分からないのですから。
専門家という方が登場して、専門的に説明したとしても不確かです。
かつて、原子力発電は安全であると豪語していたのです。その神話は壊れています。その当時、いくら安全だと国が説明しても、一部の人たちは「安全だとは言い切れない」と反論していたのです(たぶん)。
小泉純一郎元首相は、何かの番組で
「昔は原子力推進だったけど、その時は知らなかった。今は反対だ。」というようなことをコメントしていました(※おおよその内容です)。
そんなものなんです。
だから、ウイルスは良いものだと決めつけ、反対する人を攻撃したり、自分たちは正しいと主張しすぎるのは危険です。
ついでに
最後に、どうでもいい話ですが、付け加えます。
最初に登場したご家庭の崩壊?は、コロナウイルスを打つとか打たないとかが原因ではありません。そもそも上手くいっていないのです。コロナワクチンのせいにしていますが、違います。もしそうなら、コロナワクチンを打たないと言う人がいる家庭は全て壊れていなければいけません。
でも、そうはなっていないでしょう。打つのも打たないのも、お互いの判断を尊重しているご家庭なら、壊れようがないのですから。
しかも、どっちだっていいでしょう。
他人が打つとか打たないとか、あなたには関係ありませんよ。