Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の21年間の実践理論

愛には危うさもある

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 私の中ではもう名作入りしている「アンという名の少女(赤毛のアン)」の中の名シーンを紹介しながら、私見を述べてみるシリーズも3回目になりました。本当にお勧めです。huruに入っているのなら最初から観ることができるので是非観てみてください(他のでも観られるのかな?)。現在はシーズン3の中間ぐらいまでNHKで放送が終わっています。NHKは一挙再放送みたいなこともたまにしますので、もしかしたらまた放送するかもしれませんね。

 

愛しているからです

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 シーズン3で16才になるアンは、マリラとマシューから実の子のように愛されまくっていました。最初は手違いでカスバート家に来たアンでしたが、色々ありまして、すっかりいなくてはならない存在になっていたのです。

 16才の誕生祝いをしてもらった日、アンは嬉しそうに言います。

「これで、私の両親のことを調べる勇気が出たわ。」と。

 孤児院に行って、自分の親のことを調べるというのです。アンは3才の頃に孤児院に預けられたので、親のことを何一つ知らないのです。孤児院が言うには「両親は死んでしまったのでアンは預けられた。」ということでしたが、この時代は育てられないから預けるのでなく、孤児院に置き去りにするということもあったようで、アンは両親に愛されていたと信じたいのですが、それはあくまで希望であって分からないのです。そして両親がどういう人で、今も生きているのか知りたいのです。

 マリラとマシューは動揺します。もし、アンの本当の両親が生きていたり、親戚が分かってアンを引き取りたいと申し出たら、アンを失ってしまうかもしれないからです。しかし、アンの「両親を知りたい」という思いを表面上は快諾し、アンをシャーロットタウンへ送り出します(ギルバートも一緒です)。

 アンはバリー婦人のところにいるコールと合流し、忌まわしい記憶の残る孤児院へ行きますが、孤児院側は結局何も教えてくれません。しかしコールから「協会に行けば死亡記録があるから分かるはずだ。」と言われ、一度グリーンゲイブルズに戻ってから日を改めて調べることにします。

 その頃、マリラは心配でたまらず、そわそわしまくっています。おしゃべりのリンド婦人の話を喜んで聞かないと(普段は嫌々聞いているのに・・・)、何かをしていないとどうしようもないくらい心配しているのです。

 アンが戻ってから報告を聞くマリラとマシュー。結局何も分からなかったという報告に胸をなで下ろしますが、「今度は協会に行って死亡記録を調べてみようと思う。」という発言にさらに動揺します。マシューはなんとか理解しますが、マリラはダメです。本音としては、もう調べるのはやめてほしいのです。もうカスバート家の娘なんだからいいじゃないかということでしょう。マリラはもうやめてほしいのです。

 その前後のお話で、アンはインディアンの娘と友だちになっています。自分のお気に入りの服をプレゼントしますが、インディアンとの交流はこの時代はダメだということになっています。そして、よりによっておしゃべりなリンド婦人にその姿を目撃されていて、ボロッとマリラにしゃべってしまいます。

 マリラは口実を見つけたのです。

「なんていうことを!」と必要以上に怒り、「もう調べに行くことも禁止します!」と言いたくても言えなかったことを言ってしまいます(言えなかった理由は、マリラは本心では愛から生まれし愛を持っているからです)。アンは「なんでそんなひどいことをするの!」と激しく悲しみます。その時、マリラが言うのです。

「愛しているからです!」と。

 マリラの想いが伝わってくる名シーンでした。普段のマリラは感情をあまり表に出しませんから、なおさらでした。

 

愛には危うさもある

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 その後、メアリー問題(バッシュの奥さんが死んでしまう)なんかがあって時間が経過しますが、アンとマリラの仲はなんとなくギクシャクしています。

 そんな時、マリラはフィリップ先生のあとに来たステイシー先生と歩きながら話をする機会があります。メアリーとバッシュの赤ちゃん(黒人)の面倒を見ていたマリラが街で白い目で見られた時に、偶然ステイシー先生が表れて助けられるという、これもまた名シーンです。

 この物語は、もう色んなところが絡み合っているので因果関係が複雑です。

 マリラはステイシー先生に悩みを聴いてもらいます。

「あの子がどこかに行ってしまうんじゃないかと心配で・・・」と。

 ここでも名脇役のリンド婦人が絡んでいますが、ステイシー先生は夫を病気で亡くしているのです。それを知ったリンド婦人がステイシー先生に男性を紹介するという役を頼まれてもいないのに買って出ており、ステイシー先生は困っていたのです。

 ステイシー先生は自分のことを例えに出しながらマリラに伝えます。

「大丈夫ですよ。愛は減ったりしないわ。だって私も夫がいなくなってもちっとも減っていないのですから。」と。

 そして続けます。

「でも、気をつけて。・・・愛には危うさもあります。」

 

 その後、マリラは考えを変えます。実はこのちょっと前にマシューから珍しく「おまえは間違えている!」と言われていましたので、そのことも絡んでいますが、アンに「両親を捜すのを私も喜んで手伝うわ。」と伝え、2人の仲は超回復します。

 

愛が危うい側面を持つ理由

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 多くの「愛」について深く考えている書籍は、表現は違えどみんな同じ事を言っています。それは「愛は自由を与える」ということです。そしてどの側面だったとしても「無条件である」ということや、「愛は無償である」ということなどです。

 そして、愛の形はその動機に大きく関わっています。

 それは「愛から生まれし愛」と「不安から生まれし愛」です。

 マリラは、アンを喪失してしまうかもしれないという不安から愛を表現しています。つまり「不安→心配→それは愛しているから」ということです。

 それに対してマシューは、「アンの幸せだけを考える→心配→でも仕方ない→それは愛しているから」という図式でしょう。

 どちらも「愛」であることには変わりないのですが、物語は「愛から生まれし愛」が本当の愛であることを物語っています。

 

 二極性の事を言えば、「愛」の反対側は「不安」です。不安は愛から生まれる派生なのです。それはコインの表裏関係であるので、片方だけを理解することはできません。両方でワンセットですから。

 しかし、多くの人たちは「不安」を否定します。否定する余り「心配だから」という口実を生みだし、禁止や束縛ということをしてしまいがちです。その結果、先の述べた「愛は自由を与える」ということができません。それが今回のタイトルでもある「愛には危うさがある」ということでしょう。

 

「アンという名の少女」には、まだまだ名シーンがちりばめられています。ですから、素敵なシーンをまたご紹介しようと思っています。第4回は何にしようかな?

 主人公はアンですが、他の登場人物に関わるお話も素敵なんですよ。

 ちなみに、私が紹介した第1回はフィリップ先生。第2回はバッシュでした。主人公のアンは3回目にようやく登場でした。

 

 タイトルが分かりにくいので貼り付けておきます。

「第1回 フィリップ先生登場」

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「第2回 バッシュとメアリー登場」

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 もう少し大きなくくりでは「名作シリーズ」になりますので、これも貼り付けておきます。気が向いたら立ち寄ってみてください。

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