Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

くらしと道具の移り変わり

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 3年生社会で『くらしと道具の移り変わり』という単元があります。昔の道具を調べたり、暮らしの様子を知ったりすることや、自分の住んでいる町のうつりかわりを学ぶということで、広い意味では地理にあたるのかな?

 これを授業したのですが、子ども達の反応が良かったのでお裾分けします。

 

「くらし」と「道具」はどちらが中心か

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 少し冷静に考えればすぐに分かるんですけど、そして子ども達もすぐに気づくと思ったのですが、なかなか議論が白熱したので、良い発問だったのかもしれないなと感じました。それがこの発問です。

 

発問:「くらし」と「道具」はどちらが中心でしょうか?

 

 真っ二つぐらいに意見が割れました。

 いくつか紹介します。

 

【くらしが中心派】

・そもそも人がいないと道具は使えないのだから、くらしです。

・もし、くらしがなかったら、道具もないからです。

・道具がなくてもくらしはあるからです。

・人はくらしの中から道具を発明したからです。

 

【道具が中心派】

・道具が変わったてくらしが変わったからです。

・もしもその道具がなかったら、そのくらしは知らないので気づかないから。

・例えばエアコンがなかった時は、エアコンを知らないので分からないから。

 

※上記の意見が3年生らしい表現であーだこーだと展開されていきましたが、分かりやすく私なりの言葉でまとめました。

 

 さて、本題に入る前に、私は子ども達の議論の様子を大変嬉しく思いました。もちろん、発表する子としない子がいるのですが、私の見たところ、みんな自分なりに考えていました。途中で何度か「今のところどっち?」と全員に投げかけてみましたが、その都度人数の移動がありました。

 このような素敵な討論ができたのですから、価値付けをします。

 

「みなさんの考え方は大変レベルが高いのだよ。根拠を話すときに「そもそも」という本質を見ようとする発言、「もし」という仮の設定、「例えば」という具体的にイメージしやすいことを使うなど、大人でもなかなかできないことだよ。」と。

「それからね、これはどちらが正解かということではなくて、色々と考えてみるということに本当は意味があってね、正解したから「やったー!」ということでもなくてね、考えてみたということそのものに価値があるんだよ。」

「じゃあ、一応正解らしきことを教えるけど、それは先生の考えになるかもしれないから、あとは自分で考えてみて。」

 

 こんな話をして、新しい視点を与えてみます。私はなかなか正解らしきこと、先生の考えをすぐには言わないのです。理由は、自分で考えた方がいいからです。

 

「では、図を描いてみよう。「そもそも」とか「もし」とか「例えば」という言葉を使って考えるのもいいんだけど、図に表して考えてみるという方法も覚えると便利だからね。」と。

 

 子ども達は図を描き始めます。どうやって描いたら良いか分からない子もいますので、あらかじめ例を黒板に描きます。中心に大きなまるを描いて、中に「くらし」か「どうぐ」の言葉を入れます。そして、その周りに小さな丸をたくさん描いて、そこにも「くらし」か「どうぐ」を入れてみます。

 少し時間を取ります。

 ここがポイントです。時間を取るのです。描くだけの時間だけでなく、考える時間も必要です。考えが深まってくると、知的なざわつき(おしゃべり)が起こりますが、それが起これば成功です。

 

「今のところ、どっち?」

 最終的にもう一度聞きましたら、「くらし」が中心に大きくゆれました。

 

どの発言も大切に

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 いよいよどちらが正解なのかを教える時間になりますが、全員が一致しているとは限りません。そして、どうしても子ども達は「正解した方が賢いぞ!」みたいな感じになってしまうので、そうではないことを前置きしておきます。

「何度も言っているけど、正解しかたどうかが問題ではないんだよ。正解したら嬉しいというだけで、間違っていたら、新し考え方をすることができたということでイーンダヨ。」と。

 こういうことは、ことある事に、繰り返し繰り返し伝えていくことが肝要です。そうしないと間違いを怖がる子になってしまいますから。

 そして、先に述べたように「先生の考えでは」とつけてから説明します。

 あくまで「今のところの先生の考えではね・・・」ということをつけ加えることで、納得するかしないかの判断を子ども達に委ねるのです。そこもポイントかな?

 

「くらしというのはね、人がしているんだよね。だから「くらし」=「人」とも言えるでしょう。そして「道具」は人が使っているね。例えば、みんなの大好きなスイッチ(ゲーム機)が自分の周りにあるのか、自分の中心にあるのかを考えると分かりやすいかもしれないね。」

「なるほど、そーゆーことかー。」という声が聞こえてきました。

「それなら「くらし」が中心だな。」という声も聞こえてきました。

 

「ただね、みんなが分からないことを教えるのが先生の仕事でもあるから、もう一つ教えておくよ。さっき「道具が中心」だという意見があったけど、その意見は大変貴重でよく考えられていて、間違いということではないんだよ。もし「どちらが先か」と聞かれたらね、もしかしたら道具が先ということになるかもしれない。それだと「道具」が変わったから「くらし」も変わったが成立するでしょう。それは順番の問題なので、順番に関することなら正解かもしれない。

 その順番に関してだけど「道具→くらし」だったとしても、もう一つその前にくる項目があってね、それが「人々の願い」なんだよ。ああ、洗濯板はめんどうだから、もっと楽にできないかな~とか、電話を持ち運べたら便利だろうな~とか、そういう願いや想いがあって、新し道具が発明されているんだよ。「人の願い→道具の開発→暮らしの変化」という流れになっているんだよ。」と。

 

 私の見たところ、子ども達は納得している様子でした。

 この日学習する予定を大幅に変更してしまった討論の授業でした。