Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の21年間の実践理論

キュウソネコカミ

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「窮鼠猫をかむ」という諺があります。簡単に言うと、猫に追い込まれた鼠(ネズミ)が死を覚悟して逆に猫に襲いかかるということで、「窮地に追いやられると何をしでかすか分からないから油断してはいけない。」とか、「追い詰めすぎてはいけない。」とか、いくつかの教訓めいたものを読み取ることになります。

 どうして唐突にこの諺の記事を書こうかと思ったのかというと、今まさに世の中はこの諺に反することばかりしているから、それに対する警鐘です。

 

キュウソネコカミの威力

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 私がこの諺を知ったのは、大人になってからです。

 ファイナルファンタジーという超メジャーなRPGゲームの中に、「キュウソネコカミ」というアイテムがあるのです。レアアイテムなのですが、これを装備するとHPがピンチになったときだけ、攻撃が全てマックスの9999になるという代物です。ピンチになれなければ何の力も発動しないため、常にピンチの状態にしておくと使える!ということですが、実際はあまり使えません。・・・そもそもピンチなので。

 それで、このへんちくりんなアイテムの名前は何だ?ということで調べてみたら、「窮鼠猫をかむ」という語源から来ているということで知ったのです。

 もともとは中国の遠鉄論の一節だということらしいのですが、同じようなことを孫子も兵法として説いているということでした。

 

 さて、この危険きわまる諺の教訓によれば、「弱者であっても追い詰めてはいけない。」ということが分かるのですが、「弱者」は取り除きましょう。もっとすっきりと「追い詰めてはいけない」という事に焦点を絞ります。

 先ほども述べたように、「窮鼠猫をかむ」は追い込まなければ力を発動させないのです。ですから、威力は0です。追い詰めるから反撃するのです。

 

やりすぎ注意

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 最近の風潮は、この諺を全く実践していないといっても過言ではありません。もう何でもやりすぎています。反対意見を言おうものなら、集団で攻めてくるイメージです。これを同調圧力と言いますが、おそらくマスメディアが様々な思惑を持ちながら先導していると思いますが、実際はそれを意図的・意識的にできているかどうかは疑わしいです。たぶん、あまり考えずにやっています。

 具体的な事例をあげると、たくさんありますぎる上に、紹介すると非難が殺到しそうなので割愛しますが、周りで起こっている現象を注意深く俯瞰すればすぐに見つかります。たくさんありすぎますから。

 さてさて、この「やり過ぎてはいけない」ということを、別の視点からも見ると、アリストテレスが言った「中庸の徳」があります。中国の論語みたいな物にも出てきますし、キリスト教の中にも出てきます。

 これもごく簡単に言うと、なんでも「バランスよくが大切。」かな?

 食べ過ぎも食べなさ過ぎもダメ。腹八分目とか。

 やさしいだけじゃものたりないとか。

 運動は身体に良いけれども、ハードにやり過ぎたら故障するとか。

 アルコールは適度にとか。

 実生活でも「バランスが大切だよね。」ということが応用されたりして分かりやすいのですが、これらはほとんどが物質的なこと、対外的なことです。

 窮鼠猫をかむは、内的なことも含めています。というか、中庸の徳も本来的には内的なことも含めていると考えるのが自然です。なぜなら、彼らは賢人だからです。賢人の言葉を凡人が解釈するときに、分かりやすいところだけを得るということはよくあることですから。

 ここまでで、真ん中がイーンダヨということがお伝えできたということに(勝手に)して、次へ進みます。

 

そもそもなぜ窮鼠は猫をかむのか

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 追い詰められたら決死の覚悟で反撃するということは分かります。

 でも、どうしてそうなるのかについては、あまり知られていません。

 ですから、そこをお伝えするのが今回のテーマです。

 ばっちり理解すれば、「本当に追い詰めたらダメなんだな~。」ということが分かり、平穏な対応ができるのではないかな?と考えています。

 

 猫が追いかけているから逃げるネズミ。このとき、ネズミは「こわいよー」と逃げています。その「こわいよー」と思っていることを「思考」と簡単にしておきます(こわいよーの発生源は感情ですが、こわいよーと思っているのは思考です)。

 追い詰められたネズミは、さっきまで「こわいよー」って思っていたのに、「もうだめだー。」とはならず、「こんちきしょー!」と襲いかかります。これも「思考」です。相手に襲いかかってやれ!と考えているわけですから思考です。

 すると「こわいよー」と「こんちきしょー」という2つの思考が「追い詰められたこと」によって振れたということが分かると思います。この2つの思考は「真逆」の位置関係にあります。

 つまり、思考というものには、真逆に振れるという性質があるということなんです。どうしてそう言う性質なのかとさらに問い詰めるともっと深くなるので、今回は取り扱いませんが、「思考は常に真逆に振れる」ということを理解しておくと便利です。しかも振れ方が極端です。一気に振れるというイメージで良いと思います。

 

 めちゃめちゃ部活を頑張っていたのに、突然全部やめるとか。

 あんなにダイエットに励んでいたのに、暴飲暴食するとか。

 あれほど勉強熱心だったのに、全くやらなくなったとか。

 

 これも自分の身近な現象や自分自身について思い出すと、色々と出てくると思います。思考は常に真逆へ振れるということを実感として理解することが肝要です。ただの知識にするのではなく、必ず自分自身の経験と照らし合わせてみることです。そうしないと、すぐに忘れちゃいますから。

 

 中庸の徳とは、振れていない状態です。

 フラット、片寄りがない、偏見がない、俯瞰している、ありのままを受け入れている、自然体などなど、本当に言い方はたくさんあります。でも、みな同じ事を言っているのです。

 

 その大切な教えを台無しにしているのが「窮鼠猫をかむ」という諺に表れているので、なんでも追い詰めない方がよいということを、意識して生活することをお勧めします。