Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

我が子を理解するのは不可能である3つの理由

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 いきなり絶望的なタイトルをつけてみましたが、理解できないという理解をすると役立ちますという記事ですから安心してください。私と妹の会話から話を始めましょう。

 

何を考えているのか分からない!

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 実家に帰省すると、妹夫婦がいました。妹には3人の子どもがいて、その中の次男の行動が理解できないというのです。

「何を考えているのか分からない!」

「どうすればいいのかも分からない!」

「何度も言っているんだよ!」

 とまあ、こんな具合です。勉強せずにゲーム依存みたいな感じだというのです。妹に言わせれば、長男は手がかからなかったし、末の娘は大丈夫そうということでしたが、私は「きょうだいは必ず連動しているよ。」と伝えました。

 さて、その中の2つについては簡単に説明します。

 

1 「どうすればいいか分からない。」

 これはそもそも何も分かっていないのだから、何をやっても見当違いということが起こります。そして「そもそも君は何もしていないという事実を認めたまえ」ということを伝えました。すると「ゲームを取り上げた」と言い返してくるので、「その後は?」と聞くと、「お手伝いを結構やってくれたけど、何度も要求してくるから条件をつけて返した。」と言います。「それで、その後は?」と聞くと、「そのうちだんだんエスカレートして、またゲームばかりになる。」ですって。

「だから、元に戻ったんでしょ。何もしていないのと同じじゃないか。」

 

2 「何度も言っているんだよ!」

 これは1番と繋がっています。「君がやったと思っていることはだ、つまりは「何度も言った。」ということで、さっきも言ったけど、「言った」ということ以外にはしていないということを理解したまえ。」ということを伝えました。

 「何度も言っているのに聞かないのなら、何度も言っているということが違うということを気づこうよ。「何度も言っているのに」ではなく「何度も言っているから」聞かないのだよ。たまに言ったら聞くかもしんないよ。」

 この後、依存だとかひきこもりについてとか、話題は多岐にわたりましたが、今回は「何を考えているのか分からない!」に焦点を当てます。

 

我が子のことが分からない3つの理由

 世間一般的には、我が子の事は親が一番知っていると思われています。

 しかし私に言わせれば、そんなことは起こりようがありません。

 我が子の事は分かりにくいのです。その理由は大きく3つあります。

 

1 自分の事すら分からないから

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 世の中でもっとも分からないのは自分自身です。「自分の事は自分が一番よく分かっている。」というのは方便としては使いますが、事実ではありません。幼い頃より、たくさんの事を抑圧しすぎているということや、意識できる自分というのはわずかしないということ、自分が思いたいように自分を思っているということなど、自分の事はよく分からないという理由は多岐にわたりますので割愛しますが、まずは「自分自身の事はよく分かっていない」という事実を受け入れたとします。

 すると、自分の事が分かっていないのに、人の事など分かるはずはないという簡単な法則が明確になります。自分にできないことを人にできるということはないのです。

 妹は「このまま家にひきこまれたら困るでしょ?」と言うので、誰が困るのかと訊ねると、次男だと言うのです。それで「次男は困らないよ。だって、今困っていないでしょう。」と伝えます。妹は少し考えて、「あ、私が困るんだ。」と言います。

 それで「なんで困るの?」と聞きました。すると「食費がかかるから?」と寝ぼけたことを言うので、「それも困らないよ。だって、今までだって3人を食べさせてきたのに困っていないでしょう。」と。すると「食費だけじゃなくて電気代とかさ~。」と言うので「それもたいしたことないでしょう?よく考えてみて。」と思考を促します。

 妹は色々と考えて「自立してほしいから。」と結論づけました。それは「私が自立してほしいと思っている。」ということです。もうこの辺でやめておいてもよかったのですが、妹なので愛情を込めてさらに続けます。

「じゃあ、なんで自立してほしいの?」と。

「えっ?、だって自立してくれないと困るでしょ?」

「誰が?」

「・・・・私が。」

「そうだね。でも、最初の質問には答えてないよ。自立してほしいのは自分だと分かったのはいいのだけれども、そもそもなんで自立してほしいの?」

「だって、世間一般的には・・・」

「それは世間の意見でしょう。世の中の仕組みを言っているのであって、兄として聞いているのは、君自身の考えだよ。」

「わかんなくなっちゃった。」

「じゃあ、教えてあげるよ。分からなくなったでOKだ。自分のことは分からないという理解をしたじゃないか。そして、君は自分の考えというのをもっていないという気づきだよ。君はね、世間一般的という言葉にしがみついて、自分で考えるということを放棄している自分に気づかないといけないよ。兄から見ればだよ、君が自立してほしいと願っている根拠である世間一般的な意見は口実に過ぎない。君は「これ以上は面倒をみたくない」と言っているだけだ。それを認めなさい。」と伝えました。

 

 自分の事は一番分からない。これが1つ目の理由です。

 

2 距離が近すぎるから

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 2つ目の理由は「距離」です。この距離が近くなればなるほど見えなくなります。物理的にも心的にも見えにくくなります。少し離れたぐらいが見えやすいのです。1つ目の自分自身というのは、もう完全に一体化しているぐらい近いので、一番見えないという見方もできます。

 さて、この距離ですが、一番遠いのは「あかの他人」です。これはよく見えるかというと、そうではなくて「関係ない」ので見る必要もないというだけです。

 この距離が知人→友人→親友という具合に近くなっていきます。

 すると、親友ぐらいになると理解していると思いたくなってしまいますが、それも違います。親友のことをよく知っているというその友だちは、あなたの前で見せる顔を見ているに過ぎません。何もかもさらけ出していたとしてもです。だって、他の友だちの前ではさらけだせない顔だって、その本人なのですから、どうしても一面だけを見てしまうことになります。

 さらにぐっと近づいていきます。親友は同姓であることが多いので、まだなんとか理解できる範囲が広いですが、次は恋人→夫婦と近くなります。ここで異性ということが出てきます。これは最後に述べるので先を続けます。そして最後は親子です。自分自身を除いて最も距離が近いのが親子です。親子だと理解が難しくなる理由はかなり深いので、今回は説明しませんが、「親子は距離が近すぎるから理解は難しい」と押さえておいてください。

 妹は次男が中学3年生くらいからゲームにばかり集中するようになったと言います。しかし、私はたまに帰省するときぐらいしか次男の姿は見ていませんが、妹が認識しているよりもはるかに早い段階で、その兆候は出ていたと認識しています。そして、まだ問題は生じていませんでしたが、いずれこうなるとと分かっていたので助言らしきものはしてきました。ただ、その時は問題が出ていないので、妹は聞けないのです。聞こえてるけど聞いていないのです。「はいはい、そうですね。」ぐらいな感じかな?

 

 あまりにもゲームばかりするので、専門家に相談し、面談をしてもらったそうです。カウンセリングです。そのカウンセリングが終わった後に

「楽しい?って聞いたら(次男は)楽しかったと言っていた。」と妹は言って満足していましたが、私はすぐに「本当のところは分からないよ。」と伝えました。

 側で母親も聞いていましたが、何か言いたげでしたので

「母さんはどう見ている?」と話を振りました。すると

「あの子(次男)は、言葉が上手じゃないでしょ? それで何か言わないといけないと思って、楽しい?って聞かれたら「楽しい」って答えているだと思う。でも表情とか見てる? その場をなんとか納めたいというのがあったりするし、こう言ったらみんな喜ぶんじゃないかなみたいなのを考えているだろうな~っていう表情をしている時もあるかな?って、お母さんは見てた。」と言いました。

 私の母親にとっては孫ですから、私よりは見ています。距離の観点から言えば、近ければ近いほど見えにくくなりますが、この場合はすでに距離をとって見ている、つまりは見るということの上位概念である「見守る」です。見守っている人の意見は常に適切です。

 母親の意見を聞いた後に、私からも助言します。

「あのね、子どもってね、お母さんの表情にとても敏感なんだよ。だから、お母さんを喜ばすためだったり、叱られないようにだったりと、母親が見たい息子を演じるんだよ。でも、それには限界点があって、その期待にいよいよ応えられないと絶望してあきらめるんだよ。だから、それは次男の物語であるけれども、それをどう見ているのかという君自身の物語なわけだ。次男がどうこういう問題ではなく、君自身の問題なのだよ。」

 

3 異性だから

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 男性と女性は同じ人間であるけど、その中身は全く違う生き物です。体つきだけのことではありません。心の仕組みというか、感情の原理というか、本質的なことは全く違います。説明は省略しますが、まずは「全く違う」を前提に話を進めます。人は自分の経験していないことは本当には分かりません。これも前提に話を進めます。

 すると、男性だと生まれたときから男性なので、女性を経験することはできないし、逆も同じです。身体は男性で心は女性という方もいますが、中心は「心」だと言うと理解しやすいと思います。つまり、心の経験は男性か女性のどちらかしかできないということです。

 身体は目に見えますが、心は見えません。しかし中心は「心」です。すると、外見上は同じ人間だかから理解できると思うかもしれませんが、中心である心や感情は経験することが不可能なので理解できないということが分かると思います。

「女心と秋の空」という諺や「女性は感情、男性は理論」などという言葉は、それらのことを言い当てています。

 母親と娘は、なんとか一致できる部分があります。それは同じ女性だからです。でも、母親と息子は無理です。一致している部分が少なすぎるのです。

 同じ理由で、父親と息子は一致できる部分がありますが、父親と娘は理解することは不可能です。知ることはできても、完全に理解するということは不可能なのです。だって、それよりもまだ少し距離のある嫁のことだって完全な理解は無理ですから。

 

 以上の大きな3つの理由から、我が子を理解できているというのは錯覚であり幻想であり、不可能なことであるということを説明しました。

 

新しい疑問

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「じゃあさ、人は誰とも理解し合えないってこと?」

 賢い質問です。よく気づきましたね。

「そうだよ。理解のレベルがあるから、ある程度の理解はできるかもしれないけど、結局は全くの完全理解は誰ともできないよ。ある程度の意見の一致とか、その部分は分かったということぐらいは起こるかもしれないけど、それだって言葉を介しているからね。本当に思っていることや感じていることを言葉を使って伝えるには限界があって、そもそも自分が本当に思っていることだってあやしいのだから、まあ、不可能だろうね。」

 妹は残念そうな感じになっていたので、最後に明かりを灯します。

「でもね、それでイーンダヨ。分からないから分かろうとするのだから。ただ、分かるはずだと思って分かろうとするのと、分からないけど分かろうとするのでは随分違うのだよ。分かったつもりになれることはあるけど、完全に分かったつもりになったら色々間違えちゃう。完全には分からないけれども、その部分は納得したよとか、今はそう思っているのだねとか、その言葉の真意はどこにあるのかな?と探ったりとか、理解は不可能であることを前提に話を聞くことだよ。すると、先入観みたいなのがなくなって、我が子が発する言葉や表情を素直に受け取れるということだよ。」

 

 だいたいね、人が考えている事、思っている事が筒抜けだったら怖いでしょ。だってヨコシマなことだって人は考えるからね。日本国憲法だって「思想の自由」ってのを保証しているでしょう。人は分からないところがあるからお付き合いできるのです。

 そういうものです。

 だから、もしも我が子の事が分からない!と悩んでいる人がいたら、どうぞ安心してください。我が子の事が分かる親はいないのです。もしいるとしたら、それこそ危険です。自分を振り返ったらすぐに分かると思いますが、自分の事を100%親に理解してもらっているという感覚がありますか? 自分の経験をじっくり振り返ってみると面白いですよ。

 すると「我が子の事が分からないのはダメな親だ」というわけの分からない圧力から解放されます。そうそう、妹が「親の責任」なんて言葉を多用していました。

 それで「親の責任とは何だと考えている?」と聞いたんです。

 妹は色々と思いつくままに「世間一般的に言われている事」を言っていましたが、私はその全てを破壊します。そして気づかせるのです。「君の言っている親の責任とやらは、突き詰めればそうとは言えないことだらけであり、さらに言うと君自身の考えでもないわけだよ。」と。

「親の責任というのがあるとすれば、それは愛情を注ぐという1点だよ。その愛情そのものが子どもにエネルギーを充填させている。世間一般的に言われている親の責任とは、この「愛情を注ぐ事」の派生にすぎないから、その「愛情とは何か」を追求することだね。」と伝えました。

 もしも本当の愛情とは何かが分かったら、もう何をやっても、何を言ってもOKです。全ての手法は正常に働くということが起こります。何をすれば良いのかという手法はどうでもよくなり、「誰がするのか」ということに移行します。

 

 そういうことが起こったら素敵なので、理解は不可能であるということを活用して楽しんで親子関係を続けてくださいね。今回の記事が何かのお役に立てたら嬉しいです。