授業中、ふにゃふにゃして、姿勢の悪い子がいます。だらけていて、勉強をする気がないという状態です。このことについて、一般的にはあまり知られていないことをお伝えすることで、「姿勢をよくするとなぜ良いのか」ということと、「姿勢を良くさせるために必要なこと」という2本立てで解説します。
姿勢が良いとなぜ良いのか
まず最初に理解しておくべきことは、姿勢が良いとか、姿勢が悪いという概念を取り払うことです。良いとか悪いという解釈を捨てるのです。ただ単に「姿勢がピンとしている」という事実と、「姿勢がふにゃけている」という事実にします。
次に、それぞれの姿勢の理解をします。
背筋を伸ばして姿勢がピンとなっている状態。
これはエネルギーを受け取るときの姿勢です。外側からエネルギーが入りやすいのです。身を正すとは、身体を自然の状態にするということで、やり過ぎると緊張感が漂ってしまいますが、自然な状態にすることで外側のものが入りやすくなります。
アンテナがピンと経っていると受信しやすいラジオのようなものをイメージすると分かりやすいかもしれません。
映画なんかを見ているとき、それがとても面白かったらついつい前のめりになってしまうという経験がある人もいるでしょう。ピンとアンテナが立っていて、さらに情報源にアンテナの先を向けている状態です。
つまり、姿勢がピンとしている状態は、受信状態が良い状態ということで、姿勢が良いとお勉強に関しては良いということです。教えたことが入りやすい状態なのです。
授業中に「姿勢を良くしてください」と言うのは、実はそのように入りやすい状態を創り出すことにその目的があります。
ダラダラして姿勢がふにゃけている状態。
これはエネルギーを放出するときの姿勢です。見方によってはリラックスしているわけです。ヨガでは自然なポーズをとると共に、力を抜いてリラックスすることを意識しますし、瞑想も完全な脱力を必要とします。禅も良い姿勢ではありますが、リラックスです。
すると、ふにゃけている姿勢は、「僕は今、受信できません。」と言っているわけで、この状態だと教えても受信状態ではないので無駄です。その子はコップの水がいっぱいなので放出しないと入らない状態です。強制的に姿勢を良くするように指導はできますが、指導で姿勢がよくなるようなら、まだたいしたことはありません。何度指導しても姿勢がよくならないのなら、エネルギーがたまり過ぎているので、放出する必要があるという理解が必要です。
すると、エネルギーがあるのならお勉強にも身が入るのでは?と思うかもしれませんが、それは正のエネルギーのことを言っています。姿勢がふにゃけるのは負のエネルギーでいっぱいなのです。
姿勢を良くさせるために必要なこと
姿勢が良いのは受信状態。姿勢が悪いのは放出状態。
だから、良いとか悪いとかの問題ではなく、受信できるかどうかという問題。
その理解ができたら、「受信状態=姿勢が良い状態」をどのように創り出すのかという根本的な解が理解できます。もちろん、ふにゃけている状態は放出、放電、エネルギーを外に逃がしているという状態なので、それ自体は悪いということでもなく、人の防衛本能として完璧に作用しているわけです。しかし、授業成立という視点から見ればやっかいなので、教師は授業を成立させるために、どのように姿勢を良くさせるのかということを理解しておくと便利なのです。
正解の前に、これはやってはいけないという間違えやすい事例を2つ紹介します。1短期的には効果がありますが、長期的には失敗します。
1 強制すること
「姿勢を良くしましょう。」という声かけや、時々「怒り」という武器を使うことは有効的ですが、あまりにも強制が強すぎると、その時は良くても後々弊害となります。私がよく耳にしてきた話があります。
新しい学級になってから数ヶ月で、学級の姿勢が一気に崩れ始める。すると、前担任は「自分の時はそんなことはなかった。」と自慢するという現象。場合にもよりますが、このとき「自分の時はそんなことはなかった。」と言っている先生の学級経営が「強制収容所状態」ではなかったかどうかを吟味する必要があります。「怒り」や「叱り」だけで学級が平定されていた場合、たいてい次の学級では荒れます。
2 あめをあげる
子どもをまるでお客さんのように扱う、あるいはご機嫌を取るなどの「迎合作戦」です。ご褒美もダメです。ご褒美は使い方や内容によっては有効になることもありますが、大抵は失敗します。
「お勉強を頑張ったら飴をあげるからね。」と言うのは「違う」とすぐに分かると思いますが、実際はどうでしょうか。「テストで良い点を取ったらお金をもらえる」とか、「勉強をがんばったらゲームができる」とか子どもから聞きませんか?
その時はきちんとやるでしょうけれども、そもそも動機が勉強ではなくご褒美に向けられているので、もうご褒美がなければ勉強しないということに直結するという単純な理由で、後々弊害があります。
姿勢が良くさせるために必要なこと
負のエネルギーを放出するのがだらけていると見えるだけ、見方によってはリラックスして放出しているだけです。大人でも仕事が終わったらリラックスします。お家に帰ってもピシッとしていたら、それこそ病的です。
私が学生の頃、面白い授業はしっかりと受信し、つまらな過ぎる授業は受信しない(姿勢が崩れたり、聞いている振りをして寝るなど)を経験しています。
つまり、教師としては授業を面白くするということが大前提となりますが、面白い授業(分かりやすいとか知的好奇心を換気する授業)をしていたとしても、姿勢が崩れる場合は・・・ということに限定します。
それは、違う形で放出させることがポイントになります。溜まっているのだから出させれば良いのです。ふにゃふにゃしているのには理由があるという前提で話を聞きます。すると、その子なりの負のエネルギーを放出(話す)が起きます。その話を丸ごと受け取って共感すると、分かってもらえた子はエネルギー放出に成功するので、急に元気になったりします。
もしも、話を聞いているときに、その子の目から涙がこぼれるようなら完璧です。涙には心の浄化作用がありますので、大量に放出したと見て良いでしょう。
負のエネルギーが貯まる現代社会
お家でダラダラできる子は、学校でがんばれます。
これまでたくさんの子ども達に接してきましたが、何でもがんばっている子の家庭訪問では、大抵の場合、お母さんは「うちではダラダラしてるんですけどね。」と言います。
家庭は憩いの場であることによって、学校という社会の場でがんばれるのです。そして現代社会はどうも、家庭もピシッとし過ぎているというのが私の見たところです。家庭学習の強制もそのことに一役買っています。
あるいは放任(ネグレクト)という状態。これも負のエネルギーが貯まります。
過保護・過干渉・ネグレクト、この3つは負のエネルギーが貯まります。
一番溜まりやすいのはネグレクト。次いで過保護と過干渉です。過保護と過干渉については、出てくる現象が違います。過保護の場合は無気力に繋がりやすく、過干渉の場合は反抗に繋がりやすいです。しかし、過保護も過干渉も「関わっている」という点において、ネグレクト(無関心)よりも数倍良いと言えるでしょう。
現代社会は負のエネルギーが貯まりやすいシステムになっています。ですから仕方のないことではあるのですが、それでも、できることはあります。
教師ができることは、子どもの話を聞くということです。そして、大変難しい事ではありますが、保護者も巻き込むことです。
家庭でできることは、過保護・過干渉・ネグレクト状態のいずれかの状態にあるのなら、それをやめることです。その代わりに「見守る」ということを理解することです。
実は、学校でふにゃけている場合、お家では問題がない場合が多いのです。これは事実です。お家では問題がないので、保護者は気づけないのです。もしも保護者も気づけている場合は、かなり改善の可能性が高い状態です。
教師と保護者が連携して、協力して、協同して、共通理解を通して、子ども達に正のエネルギーを充てんさせることが可能になります。