Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

教師の連携 ~本当のサポートとは~

「学校力」とか「チーム○○小学校」とか、数年前から随分と騒がしい現場ですが、要は教師間で意思統一・共通理解をして協力していきましょうというスローガンです。言葉が美しいです。しかし、美しすぎる状態になると、本質的に怪しいと思って間違いないでしょう。今回は、教師間の連携ということについて批判的な記事になります。でも、本当の連携(サポート)とは何かということも述べますので、「そうそう、私もそう思ってた!」となる人も多いと思います。ですから、「これが本当に連携(サポート体制)なの?」と懐疑的な人への応援する記事になります。教育現場の人間関係で悩んでいる人だけが読み進めてください。

 

教育現場の配置(校内人事) その1 若手がサポート

 現在の教育現場は、通常学級の担任と特別支援教育の担任が1つの学年を共に運営することが多くなりました。(主)が通常学級で(副)が特別支援学級です。特別支援学級(特支)の先生は個別の指導もしますが、通常学級に混ざって一緒に活動することが多いからです(ということでとりあえず(主)と(副)を規定しておきます)。

 また、担任外で活躍される先生もいます。理科専科とか音楽専科として授業を受け持ったり、行事などでサポートしてくれます。これも話の便宜上(副)としておきます。

 

 まとめると次のようになります。

「主」・・・担任

「副」・・・特支の担任、専科、管理職、保健室など。

 

 20年くらい前の小学校の先生は、ほぼ全員が担任だったわけですが、現在では通常学級の担任以外が多くなりました(特別支援学級の増加)。すると、誰が担任を受け持つのかという人事から始まります。

 ここ数年、通常学級の運営は難しくなりました。その理由は長くなりすぎるので割愛しますが、新卒ホヤホヤの教師が太刀打ちできるようなレベルではないことも多々あります。ベテランでも苦労します。

 ですから学校運営上、学級担任を受け持つ人材をどうするのかということが3月の最重要テーマになります。学校全体が落ち着いているのなら大丈夫なのですが、そうでない場合は、どうしても新採用グループ(通常1年目~3年目)は、とりあえず特支の担任をして、通常学級の先生と一緒に活動しながら勉強しましょうということが起こります。新卒の力は未知数ですから、簡単に言うと、とりあえず1年は様子を見ましょうということです。

 新卒は若いエネルギーがありますから(ない人もいますが・・・)、一生懸命サポートしようとしてくれます(そうではない場合もありますが・・・)。

 しかしこの場合、本質的なサポートは非常に難しいです。

 理由は、できることが少ないからです。

 そもそも中堅やベテラン層が担任をしているのなら、ほとんど自分で運営します。逆に若手を育てるという役割も担っているわけですから、若手に教えながら自身の学級も運営している状態です。

 そこで、仕事の一部を渡してやってもらうということになります。

 つまり、仕事を分担しているだけです。しかも教えるためにわざと仕事を振ることも多い。ついでですが、その分担した仕事の取り組み方を見て、「おおー、なかなかやるなー!」と思われた若手は次年度から担任を任されます。で、次年度の担任としての活躍を見て、大丈夫そうならその後も担任として活躍する期間が長くなります。

 以上が1つ目の形です。

 これは本質的なサポートは難しいのですが、まあ、それほど問題にはなりません。問題は2つ目の形です。私の考えでは、ベストな形なんですが、理解しなければ最悪な形になりかねないという諸刃の剣です。

 

教育現場の配置 その2 ベテランがサポート

 私は常々、管理職に伝えてきました。「どこの学級でも大丈夫な人をサポートにまわさないと、若手が育ちません。」と。

 もし、学校事情で可能なら、その方が将来に向けた投資になるはずです。

 私の考えでは、どこの学級でも1年間運営できる力のある教師ならば、サポートできます。まあ、どのようにサポートするのかという問題はありますが、1年間を見通すことができますし、様々な問題をクリアしてきた経験もありますから。

 若手や中堅ががんばって、ベテランは後ろから支える。

 これが美しいのです。

 ところが現実問題として、そんなに力があるのなら学校としては前線に送り出します。ややこしいクラス、前年度に荒れちゃった学級などがあると、そこを担当して立て直してもらおうとします。学校としては大丈夫になるので、それはそれで仕方ない配置なのですが、サポートという視点から言えば、さらに難しくなります。

 理由は、力のある先生のサポートは、誰にとっても難しいからです。そもそも力のある先生は、それほど頼らないという特性もありますし。やはり、仕事を分担するくらいでしょう。でも問題は少ないです。主の運営が大丈夫ですし、サポート側も仕事の一部を受け持つというサポートはできますので。通常、学校でこの状態が発生すれば「ヨカッタ、ヨカッタ。」となります。

 しかし最初に述べたように、問題が無いように見えてもあります。

 1つ目は若手が育たないこと。

 2つ目はサポートはできていないということ。

 もう少し加えるなら、ややこしいクラスを無事に立て直した先生は、次年度もまたややこしいクラスをお願いされることが多く、仕事の量が桁違いに違うことをずーっとやり続けることになります。まあ、それが好きな人もいますから、本人次第ではありますが、教育界全体を見れば、世代交代に失敗するでしょう。

 

教育現場の配置 その3 最悪のサポート

 問題が多いにある配置を2つ紹介します。

 1つ目は力不足のサポート体制です。

 要は、学級担任は難しいという状態の人によるサポート。力がないのだからサポートは不可能です。ないものは出せません。ただし、これも仕事の一部をやってくれるので、そういった仕事分担としてのサポートなら可能です。今回は「本当のサポート」という視点で書いているので、もうすこし我慢してくださいね。

 大問題なのは2つ目の力不足のサポートです。

「自分は力はないけど、できることはやりますよ。」というのは美しいのですが、邪魔をする場合があるのです。しかも、邪魔をしているという事実に気づいていない状態。これはキツイ。邪魔ばっかりしているのに、邪魔をしている本人は気づいていない。本当な力不足なのにその自覚がない人、次のようなベテランは全くサポートできていません。

・担任がやることにいちいち反対する。

・たいしたことをしていないのに口だけは出す。

・基本的に不機嫌。

・本質的に批判精神で満ちあふれている。

・すぐに群れたがり、陰口が大好き。

・失敗は担任の責任にして、成功は自分のサポートだという態度である。

・主は担任なのに、自分が主になろうとする。・・・等々。

 

 要はいぢわるでいじめっこです。

 いじめはいけないと教えるのが教育現場ではありますが、いじめというのは、大人の社会でもあります。しかも子どもと同じように、いじめている本人は気づいていないことが多いです。最悪です。気づいているのならまだ救いようがありますが、気づいていないのだから手に負えません。

 まあ、いじめっ子と化してしまった人にも、そうなってしまう理由がありますから、深く理解すれば仕方ないかな?とはなりますが、大抵は無理です。そんな悠長なことを言っていられません。

 今、精神的に病んでしまう若手が多いと聞きますが、それはすなわち「サポートができていない」ということの証拠になります。本当のサポートにはいくつもの側面がありますが、そのひとつに「精神的なサポート」というものもあります。少なくとも精神的なサポートはできていないと事実は語っています。

 サポートしている人は善意で良いアドバイスができていたとしても、アドバイスだけでは適切なサポートとは言えません。精神面においてはプレッシャーになりかねないからです。

 

本当のサポートとは

 多くの人がサポートだと思っていることは、本質的なサポートとは言えない理由を広く捉え、いくつかの具体的な例を挙げて説明します。

 

 例えば、スポーツやアーティストなどのサポーター。

 この場合のサポートは、ただの応援であり、観客であり、収入源であり、楽しませてもらっている人であるというだけです。サポートを「支援」とするならあてはまりません。まあ、支援という言葉の定義にもよりますが、たとえ支援しているつもりになれたとしても、実は自分が楽しませてもらっている対価を支払っていて、両方にとって望ましい関係であるというだけです。

 

 例えば、支援スタッフというサポーター。

 これも先に述べたように、仕事分担の話をしています。仕事としての裏方であるということであって、本当のサポートとは言えない。あるいは、たいていの場合のボランティア活動もここに入るでしょう。給与が発生しているかしていないかの違いであって、本質的なサポートではありません。

 

 例えば、介護というサポーター。

 聞こえはいいですけど、これも本当の意味でのサポートではありません。お世話をしているというだけです。まあ、お世話=支援=サポートであるという図式は成り立ちそうですが、私が今回お伝えしたい本当のサポートではないというだけです。

 

 ある人のもっている仕事量が10あったとします。

 その一部、2くらいを受け持ってもらえたなら、本人に残された仕事量は8となります。これが仕事分担です。「仕事のサポート」と言ったときには、これで成立するため、多くの人が「これでサポートできている」と思ってしまいます。これはこれでいいのですが、「仕事を分担しました。」という以上に意味はありません。まあ、助かりますけどね。

 

 では、本質的なサポートとは何かといいますと、それは仕事量ではなく、結果量の話になります。仕事を分担しただけなら、10の仕事の結果は10にしかなりません。しかし、上手にサポートできたのなら、10の仕事の結果が12とかになります。もし、協力、連携、支援した結果が、自分でやったときよりも大きくなっているのなら、サポートしてもらったと考えて良いでしょう。そして結果量が12になったいるにも関わらず、主で活動する人がさらに元気になっちゃっているのなら最高のサポートです。さらに本人がサポートされていると感じていないならサポートの極みに達していると考えて間違い在りません。主で活動する人が「理由は分からないけど、なぜか上手くいっているし、なんだか楽しいぞ!」みたいな感じが発生する状態です。

 少し分かりにくいでしょうから、いくつかのポイントを示してみます。自分の経験に照らし合わせて納得できそうなものを確認してください。

 

 本当にサポートができているのなら・・・。

・サポートされている人は気づきません。

・サポートされている人は常に元気になります。

・サポートされている人は全部自分でやったつもりになれます。

・サポートされている人の「学び」が自然発生します。

・サポートされている人は本人が知らない間に影響を受けちゃいます。

 

・サポートしている人は、あまり手を貸しません。

・サポートしている人は、さりげなくわからないように手を貸します。

・サポートしている人は、本当に困ったときだけ出てきます。

・サポートしている人は、効果が高まるように仕掛けます。

・サポートしている人は、見守り、良いところを見つけ出します。

 

 以上のことを育児に置き換えて考えてもいいでしょう。

 そして、そのサポートをする方法については無数にありますので、今回は説明できません。しかし基本さえ抑えておけば、何をやっても大丈夫でもあります。自分なりのやり方で大丈夫でしょう。

 もし、若手を育てたいとか、自立を促したいとか、人の役に立ちたいと願うのなら、上手にサポートしてくださいね。

 もし、サポートされて苦しんでいるのなら、それはサポートではなく邪魔をされているという理解をしてくださいね。

 今回の記事も長くなってしまいました・・・。

 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 最近、記事が批判じみているので、少し反省・・・してませんが、人気はないだろうなあ~と想いながら書いてみました。