Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

教科書を使って教える ~大切にするってどういうこと?~

 今、私は5年生の特別支援学級を担任しており、先日の社会で「森林と共に生きる」という単元を学習しました。私は常日頃、子ども達に何度も何度も言い続けてきたことがあります。「今回は○○の勉強だけれども、○○の勉強は手段に過ぎない。分かりやすいように○○を使うのだけれども、本当に先生が教えたいことは違うんだよ。」と。

 例えば国語の「大造じいさんとがん」という教材があったとします。その時、大造じいさんの物語を勉強しているのではないのです。「大造じいさんとがん」という物語を通して、国語の読解力であったり、語彙であったり、表現方法であったりと、様々な国語学力を養っているのです。それが「アンパンマン」でもかまわないのですが、学年にぴったりな学習材を専門家が選んでいるのが教科書なのです。

 森林を大切にするってどういうことか。この学習で受け持ちの子ども達から、素敵な気づきがたくさんでたので、きっと良い問いかけだったのだな~と思いましたのでお裾分けです。

 

大切にするってどういうこと?

 単元は5年生社会「森林と共に生きる」です。

 私は「今回は2つのことを勉強するよ。」と最初に伝えます。

 1つ目は、森林は大切だと教科書で明言しているけれども「どうして大切なのか」という理解。

 2つ目は、森林を大切にするとは「どうすれば大切にすることになるのか」という理解。

「この2つが分かることを目標にしているんだけどね、今回は森林というものを通して考えてみるよ。・・・でも本当は「大切な理由はどの角度から見ても大切だよ」ということと「大切にするって、どういうこと?」ということを見つけられたら、いろいろなところで応用できるから、たくさん考えることが目標だよ。」として授業スタートです。

 

 1つ目の「大切な理由」は省略して、2つ目の「大切にするとはどうすることか」について、子ども達から素敵な気づきがたくさん出たので紹介します。

 

 発問:「森林を大切にするとは、どうすることなのか考えよう。」

 

 子どもの反応は・・・・・・・・・ありません。

 教科書を見て、なんとか探し出そうとしますが、見当たりません。

 だって「大切にするとは○○をすることです」などとは書かれていないからです。だから自分で、今ある自分の力で、自分の経験をフル稼働して「考える」ことを促すのですが、そもそも森林と共に生きていないのが現状ですから、経験が足らないのです。ないものは出ない。・・・ああ、そうか。と納得。

 そこで、次のように付け加えました。

「あのね、今回は「森林」という教材を使って「大切にするとは」について考えようとしているんだけど、「森林」というのは考えるための入り口の1つに過ぎないんだよ。だから、違う入り口からでも入ることができる。それでいて「大切にするとはどういうことか」については同じなんだよ。「森林」では考えにくそうだから、違う入り口を先生が用意してみよう。」

 「森林を大切にするとは」という焦点から「大切にするとは」という局地的な焦点に移行させます。

【道具を大切にするとは・・・】

【友だちを大切にするとは・・・】

【親を大切にするとは・・・】

【お金を大切にするとは・・・】

【親を大切にするとは・・・】

【家を大切にするとは・・・】

【時間を大切にするとは・・・】

【食べ物を大切にするとは・・・】

 すると、様々な入り口から入って、たくさんの考えが発表されました。

・優しくすること ・親切にすること ・感謝すること ・協力すること ・仲良くすること ・気持ちを考える事 ・よく見ること ・無駄にしないこと ・キレイにすること ・守ること ・遊ぶこと

「たくさん出たね。これは森林を大切にするということで考えてみても、全部当てはまるんだよ。」と説明し、ついでに「自分で見つけたんだから、大切にするってことを自分で使えるようになるよ。」と多いに褒めておきます。

 そして教科書に戻り、林業の仕事がやっていることや、「育てる」ということの確認をして授業を終えました。

 

「大切にするとは」も学びのツールとして使っている

「森林を大切にするとは」を使って「大切にするとは」を学んでもらいましたが、実はその学びもまたツールとして使っています。もっと大きな事を学ぶために利用しているのです。担任としての私の真のねらい、それは「自分で考える」ということであり、「自分で見つける」ということであり、「学んだことを繋ぐ」ということであり、「学び方を学ぶ」ということを経験として理解させるための「大切にするとは・・・」なのです。

 多くの人が、簡単に「大切にしている」という言葉を使っています。でも、多くの人が「大切にするってどういうことか」については深く考えていません。

 例えばお金。お金を大切にするということは貯金をするということではありません。上手に使うということであるはずです。丁寧に扱うということであり、感謝して使うということであります。お金は使わなければただの紙切れですから、貯金することが目的になってしまうと、お金本来の力を一切発揮しません。

 例えば友だち。友だちを大切にするというのは、気の合う友だちと触れ合うことではありません。自分の都合の良いときだけが友だちではないはずです。良い時も悪い時も、その全てが友だちなのです。自分がどの状態であったとしても、ずっと友だちでいられる人、それが本当の友だちであり、大切にされている状態。友だちに自分がそうしている場合は、大切にしている状態です。

 例えば家。「家を大切にしています。」と言ったとしても、家がぐっちゃぐちゃなら、大切にしていると言えるでしょうか。例えば道具。道具を雑に扱っていて、これは大切ですと言えるでしょうか。ついでに時間。さんざん浪費しておきながら「自分は時間を大切に思っています。」とは言えないはずです。

 

 簡単でシンプルな言葉ほど、奥が深く複雑に絡み合っているのです。

「親切」「優しさ」「応援」「思いやり」「いい子」「親孝行」「愛情」などなど、言葉が美しく、多くの人が何気なく使っている言葉ほど、その本質に行けば行くほど深遠な世界が広がっているものです。そして、言葉が美しいほど「ニセモノ」が多くはびこっていますから、どうしても「自分で考える」ということが必要になります。自分で考えて、自分で選び取ったものだけが「ホンモノ」であり、自分にとって本当に必要なものなのです。

 逆に、言葉が複雑で多くの説明がいるものほど、実はシンプルです。

 簡単なものは複雑で、複雑なものはシンプル。

 これを覚えておくだけでも、様々な場面で応用できるはずです。

 

 もうすぐ5年生も終わります。間もなくお別れです。

 今回の授業で、子ども達の成長がたくさん見られて、嬉しい気持ちになりました。巣立ち行く子どもを見守る瞬間が、私は好きなのです。

 私と共に過ごした場所を去り、自分の力を伸ばしてゆく。そのための道具を少しでも提供できたのなら、担任として本望なのです。

 授業の最後に、

「たくさん見つけられたけれども、大切な視点を1つ加えるから、忘れないでね。」と、嬉しくなったのでついでに欲が出てしまい、余計な知識を簡単に与えてしまいました。

 

「なんでもバランスが大切。よいことでもし過ぎたらだいたい駄目になる。」と板書。そして「なんでもね、たいていのことは、中間に留まることが大切で難しいのだよ。」と言葉でも説明。

 

 ああ、余計なコトしちゃったな・・・と、少し反省。