今日は卒業式なんです。
6年生が6年間の修業を終える日。
美しい日です。
終わりがあるから美しい
すべての出来事は流れています。物質的な物もそうでないものも、不動なものはなく、ありとあやゆることは動いています。そして、終わりがあるから美しいのです。
終わりがないのなら、美しさは消えてしまいます。
小学校生活は6年で終わり、中学校は3年で終わり、高校も3年で終わります。
それぞれに卒業があり、卒業があるために凝縮された日々を過ごせるのです。
例えば高校の部活動。
これが30年あります・・・と言われたら、うんざりしませんか?
終わりがあっても30年の部活動は長すぎます。
例えばマラソン。
「ゴールはありません。このマラソンは終わりがないのです。」と言われたら、誰もスタートラインなどには立たないでしょう。ゴールがあるから走れるのです。
不老不死はどうでしょうか。
長生きしたいと願うそのことが美しいのであって、もし本当に不老不死ならば、自分だけがずーっと生き続け、周りに知っている人はいなくなります。浦島太郎は、竜宮城で遊び終わったら、周りに知っている人がいなくて落胆します。
「有終の美」という言葉。これも終わりがあることの美しさを言っています。
今日は卒業式です。昨日は前日で、6年生の表情がとても良かった。
名残惜しいけれども、最後だからビシッときめたい!という想いが、卒業式練習をする卒業生たちの姿から感じられました。
今日の卒業式は美しく感動的なんだろうなぁ・・・。
始まりは終わりの始まりで、終わりは・・・。
卒業式が終われば、約2週間ほどで、6年生は中学生の入学式があります。
幼稚園を卒業したならば、4月6日が入学式です。
・・・始まりますね。
終わったから始まるのです。終わらなければ始まらない。当たり前のことですが、少し考えを広げてみると、ここにも美しさがあります。
花が咲いている瞬間は美しく、散ってしまうとなんだか寂しくなりますが、散ることで成長が起こり、翌年また咲きます。もっと言うのなら、散る、枯れる、しおれるその様にも、独特の美しさがあり、それぞれが通過点なのです。
もし、ずっと咲いていてほしいのならば、造花だらけにすれば解決しますが、それは生きていません。生命があるということは、必ず動いているのです。そして終わりと始まりを繰り返している。
始まりもまた、美しいのです。途中も美しく、終わりも美しい。
しかし「始まり」も「途中」も、その最中は前に進むことが中心で、美しさを感じにくい。終わりはね、「振り返る」ということで美しさに気づけるのです。
卒業、おめでとう!
「卒業おめでとう!」・・・とは、これまでの生活を賞賛し、これからの生活を共に喜び、応援する今の瞬間に贈る言葉でしょうね。
これまでの生活が・・・たいしたことないのなら、
これからの生活に・・・意欲がないのなら、
「君は強制的に卒業だから、おめでとう・・・とは言いにくい。」となります。
たいしたことない生活をしていたのなら、卒業は美しくありません。
卒業させられるだけですから。
そして、新しい場所で楽しもうとする意欲も欠如していますから。
だから、今の瞬間を常に楽しもうとする心構えが重要なのです。
人は、学校生活だけでなく、様々なことを卒業し、あらゆることへ入学します。それが自然なことですから、自分で自分に「卒業おめでとう!」と、美しさを感じながら言えるように、今、この瞬間を大切にしましょう・・・と、自分に言い聞かせています。