(2019.10.22の記事をリライト 2020.5.06)
教師と介護職員は人材が資源であるという点で共通していますが、子どもと老人という相反する対象です。しかし総じて言えば、人の心を相手にしているという大きな共通点があります。
人を笑顔にするとは、どういうことなのか。
大学生の頃の友人に、老人介護施設に長らく勤めている人がいます。飲みながら話したことが時間の経過と共に感慨深いものになっています。
老人介護の心と子ども教育の心の違い
飲みながらの会話
私:
「小学生はねえ、給食で牛乳を無理矢理飲ませるってことはしないけど、飲むようにはがんばらせるよ。生まれて10年やそこらの子なんだから、まだまだ人生は長いのだから、できることを増やす、可能性を増やしておくのが愛情ではないかな」と。
牛乳はたとえ話の1つでしたが、簡単に言うと、子ども達の可能性を広げるという仕事が教育の仕事の1つであるということを言いました。
友達:
「へぇー、やっぱり他の職業の話って面白いな。俺らはおじいちゃんやおばあちゃんが相手だから、その逆をやってるよ。つまり、もう十分にがんばって生きたんだから、最後はわがままをどれぐらい聞いてあげられるかということを考えている。」と。
その時も「なるほどねー」と聞いていましたが、時間が経つに従って、なかなか深みのある会話だったと重みを増してきました。
子どもたちは未来を創る存在ですから、力強く生きる術を身につけるために教え、老人達はもう十分やってきたのだからいたわる。誰にたいしても同じように接するのではなく、相手の立ち位置にしっかりと寄り添うということなのだと思ったのです。
個人的な出来事
もう他界してしまいましたが、私の祖母の家に遊びに行ったときのことを思い出します。その当時、祖母は確か80歳を越えていましたが、とても元気でした。
私が家に上がると、「よく来た、よく来た。」と喜び、「さあ、さあ、飲みなさい。コーラでいいかい? コーラしかないけど。」と、おもてなしのぬるいコーラをコップについで私に出してくれました。
自分のコップにもそのぬるいコーラをついで、美味しそうに飲みます。
私はびっくりして「おばあちゃん、いつもコーラ飲んでるの?」と聞きました。
「毎日飲んでるよ。コーラが一番美味しい。私はもうコーラしか飲まない。」
「お茶とか飲まないの?」
「飲まん! コーラしか買わない。ほれ、こんなにあるよ」
と、1.5リットルのコーラのペットボトルが6本くらい入った段ボールの箱を嬉しそうに見せてくれます。
私は、お年寄りがコーラばかりを飲んでいるということに衝撃を受け、ついつい、祖母の体を気遣って「コーラばかり飲んでたら、体に悪いよ。お茶とかにしたら?」と言ってしまいました。すると、祖母は
「体に悪い? 私はもうこんな年になったから、今更体のことなんか考えてないよ。もう残りの人生はわずかだからね。だから、好きなものしか食べないし、好きなものしか飲まない! ほれ、私はこんなに元気でしょ!」
と笑っていました。そして「ほれ、あんたもコーラを飲みなさい。コーラは美味しいから!」ですって。
高齢化社会に向けて
生まれて来たばかりなのか、死が迫ってきているのか。
人は生まれた瞬間に、死に向かっていきます。
人生は有限で、必ず終わりがきます。
始まりは終わりの始まりです。
そんなことを考えるきっかけとなった2つの出来事でした。
日本も含め、先進諸国は後期高齢化社会に直面しています。
介護職員は慢性的な人材不足です。
数ヶ月前になりますが、老人介護の現場の特別番組を観ました。
その施設は営利が絡んでいるため、入居者不足で赤字という問題がありました。そこで再建のプロフェッショナルという方に再建を依頼したというお話です。
そのプロが問題視したのが食事でした。居住スペースも交流スペースも充実しているのに、施設にいる老人達の表情は暗く、食事の時間にもみんな無言だったことに着目したのです。そして、その冷え切ったパックを入れるだけの料理を手作りに変えたのです。
すると食事の時間の老人達の表情に笑顔が戻り、会話が発生したのです。
なにも特別な料理ではありません。普通の料理です。
手作りで、温かくて、愛情のこもった料理です。
経営者は、以前よりも食事の経費が増えたこと、それでも入居者が笑顔ならそっちの方が良いこと、そして、結果的に入居者が増えたことを喜んでいました。
人と接する仕事をするのなら、営利だけでは続きません。
これは、どの職業であったも本質的には同じです。
後期高齢化社会は、お年寄りの方と社会全体が、どのようなコミュニケーションをとっていくのかということを問われているのだと思います。
それは心の問題が問われているのだと、私は考えています。