Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

自分の弱さと向き合う

自分の中にある弱さ


自分の中に在る「弱さ」とどう向き合えば元気になれるのかということを書きます。

 人は皆、どんな人でも、どんなに強そうに見えたとしても、己の中に「弱い自分」というものを持っています。子どもでも大人でも同じです。そして、弱い自分を隠し、自分は弱くはないとしてしまいがちです。

 しかし、弱くはないとしていると、苦しくなってしまいます。

 

自分の中にある「弱い自分」を隠すと・・・

「小さな犬ほどよく吠える」ように、怒りやすい人や威嚇ばかりしている人というのは、とても強そうに見えますが、弱い自分を隠しています。強い自分を演じる事の最大のメリットは、人から弱いと思われないということですから、弱い自分がいるということです。本当に強い人は、強がる必要がないのです。

 これが基本的な考え方です。

 全ては、これの応用、波生であると考えれば物事の真実が見えてきます。

 

 中学校や高校生になると、他人の目が気になります。客観的に自分を見ることができるようになるので、同時に他人からどう見られているかも分かりはじめるということです。子ども達にとって、友人関係というのは最重要と言っても過言ではないくらい気を遣います。それは必要だから気になるのですから、否定するつもりはありません。しかし、そのことばかりに気を取られると、やがて、それ自体が目的化し、どんどんややこしいことになってしまいます。

 

 中学1年生の男の子と面談をしました。彼は「勉強したいのだけどできない」と言います。「なんでできないの?」と理由を聞くと、いくつかのもっともらしい答えが返ってきました。

・勉強がつまらない。

・先生が嫌だ。

・小学校の時に真面目にやってなかったから難しい。

・勉強しても分からない。等々。

 なるほど、全てそれらしい理由ではあります。しかし、本当の理由は違います。

 彼は「勉強できない」と言っていますが、本当は「勉強したくない」と言っているだけです。それをなんとか正当化するために、思いつくままの理由を挙げているのです。ですから、なぜ「勉強したくないのか?」と考えなくては、本当の理由は見えません。その前に「人である以上、誰でも学びたがる本能を備えている」という前提を知っておく必要がもあります。

 

 彼は勉強をしないことで、勉強できない自分をごまかすことができます。

 勉強をしないから出来ないという状態は、「勉強をすれば出来る」という幻想を生み出しています。でも、本当に勉強を始めたら、できない自分が出てきてしまう。勉強しているのに出来ない自分は、かっこわるいという構図です。

 それは、先ほど述べたように、弱い自分です。勉強が出来なかったらダメだと思っている弱い自分です。本当は勉強はできなくても問題としてはそれほど大きくはないのですが、そうは思えない自分が「弱い自分」です。

 勘違いされないように、もう少し付け加えます。

 弱い自分は、決して勉強できない自分を指しているわけではありません。

 弱い自分とは、勉強できない自分をダメだと思っている自分です。人の目を気にして、自分を偽っている自分です。

 一生懸命勉強しているのに、テストの点数は伸びない人を、人はダメだなんて思いません。一生懸命勉強している姿、勉強している過程に共感し、勇気すら与えるはずです。テストの点数はただの結果に過ぎず、悪い点数を取ったとしても、次に生かせばよいだけなのですが、点数が低いと自分でかっこわるいと思ってしまうのです。

 

自分の弱さと向き合う

 中学生の彼にそのことを説明し、近くにあったコーラを彼の横に置きました。

「このコーラは自分の中にある弱さだとするよ。自分は弱くないとしているということは、このコーラを見ていないということだ。だけど、横にあるでしょう。つまり、見ないことで無いように思えるかもしれないけど、やっぱりこのコーラは君の横にはあるんだよ。」

 彼は納得したようなので続けます。

「では、これを捨てるにはどうするかな?」

 しばらく考えた後、「向き合うかな?」と答えるので、「では向き合ってみて。」と伝えました。彼はコーラを見つめます。ただのコーラなんですけど、この場では自分の持つ弱さです。

「見えたね。では捨ててごらん。」

 すると、彼はコーラを手にとって、私の方に置きました。

「ね、捨てられたでしょう。向き合うというのは、手に取るということで、持っていないとしているうちは捨てようがないということが理解できたかい?」

 彼は、何か分かったようで、にやりと微笑みました。

 

 何かを捨てるには、それを持っていないと捨てられないということで、物質で考えればすぐに分かりますが、精神的なものは分かりにくいのです。それを隠していることすら気づかないことも多々ありますから。

 怒り、嫉み、妬み、憎悪、嫌悪などは特に、それが自分の中にあるという事実をなかなか認められないものです。認めないけど在る。だから、外側にその原因を見つけて正当化して出しまくってしまうのです。

 

向き合ったら捨てないという選択

 中学生の彼に続けて語りました。

「その弱さは認めることで捨てられるのだけれども、もっと良いのは、その弱さも自分の一部であるとして、大事に抱えることだよ。すると君は、自分の弱さを認められる男ということで深みが増すことになる。さらに、自分の弱さを大切にできるということは、他人の弱さも大切にできる人になれるということだよ。」

 どこまで理解したかは分かりかねますが、彼は「なるほど、そうか。」という表情をしたので、後のことは彼自身が自分で考えるのだろうと思いました。

 

 

本当の勇気は「弱さ」を認めること

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弱さの思想: たそがれを抱きしめる

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  上記の本は読んだことはありませんが、おそらく同じようなことを書いてあると思います。物事を深く考え抜くと、結局はみんな同じ結論に達するようですから。

 きっと、私の説明では不十分過ぎるでしょうから、弱い自分って何だろう?と思った人は読んでみてください。そして、もし読んだ感想がありましたら、教えてくださいね。