いきなりですが、今、世の中は不安感がいっぱいです。マスメディアが煽っているということもりますが、とにかく不安材料にはことかきません。しかし、では「昔は不安が少なかったのか?」と聞かれれば、昔だって不安はあったと答えるしかありません。ただ、その性質、つまりは不安の内容みたいなものは変わってきているのだと考えているわけです。
今の不安と昔の不安の違い、そして「不安は必要である」という事をお伝えします。不安感たっぷりの人は、もしかしたら、少しだけで不安がっている自分を受け入れられるようになるかもしれませんから。
昔の不安
昔はいつかという定義から考えなくてはいけませんが、あまり昔のことは私だって知りませんから、それほど昔ではない昔で考えてみます。すると、食べることや住むこと、着るものや仕事など、おおよそ物質的な不安というものが出てきます。
これは、当然今もあることでしょうけれども、総じて言えば、「豊かさ」に対する不安ということになると思われます。将来困らないようにとか、もっと良い暮らしをするためにみたいに、前向きでも後ろ向きでもかまいませんが、とにかく広義の意味で働くための原動力にもなりうる「不安」があったでしょう。
これらを「外側にある不安」としておきます。
今の不安
日本は豊かになりました。食べるものや住むところに困っている人もいるでしょうけれど、総数としては豊かですし、諸外国に比べれば日本は豊かな国ということが言えます。少しご年配の方に聞けばすぐに分かりますが、昔は食べ物だって着るものだって十分にはなく、みんな工夫して生活していたのです。
すると「豊かさ」に対する不安が軽減されてしまいます。もう豊かになってしまえば、自分が豊かであるということすら感じられなくなってしまいますが、とにかく生活自体には困らないということで、昔の「不安」はなくなるはずだったのですが、なくならないのです。新たな「不安」が台頭してきちゃうのです。この漠然としたとらえどころのない「不安」は、何もないのに不安、不安だということが不安みたいに、外側には存在を見つけられません。
つまり「自分の内側にある不安」ということになります。
厳密には分けられないけど
今の不安と昔の不安というのを便宜上、大きなくくりで分けてみましたが、本当はきっぱりとは分けられることはありません。そして、どちらが大きかったかということであって、その両方がいつの時代でもあったことでしょう。
「外側にある不安」と「内側にある不安」です。
ただ「豊かさ」は、誰の目にも分かりやすく、みんながそれを求めていた時代が確かにあったということ、そして、昔に比べると今は、あきらかに豊かになったということは事実ですから、総数としては「外側」から「内側」へと不安感はシフトしていると言えます。
不安は必要
さて、昔の不安は「働くための原動力になりうる」ということを書きましたが(他にも色々ありますが、一側面としての不安の力と捉えてください)、今の不安はなぜ必要なのかということを書きます。
たいていの場合、不安は嫌がられます。不安が進むと「パニック障害」やら「うつ病」やらに直結しますし、健康にも害がありますから、当然、遠ざけようとします。 でも、ここで考えてみてほしいのです。
分かりやすくするために、目に見えて、誰にでも経験にある体で考えます。
例えば、お腹が痛かったとします。「痛み」を感じる事で、人は治そうとします。薬を飲むかもしれませんし、おかゆを食べて安静にするかもしれませんが、とにかく「痛み」というサインを受け取って行動するでしょう。
もし仮に「痛み」というものを感じられないのなら、症状が悪化していたとしても気づかずに、悪化し続け、気づいたときには手遅れということになります。
「不安」もまた、サインなのです。目には見えませんが、こころの不調を訴えるサインですから、「不安」がなければ、心の不調を治しようがないということになり、気づいたときには手遅れだといことになります。
つまり、不安というのは、人間が持つ警報機の役割をしているのです。
警報機は、人間が持つ防衛本能です。元々人間に備わっているのです。
なぜ備わっているかというと、それが必要だからです。
不安を生活に活かしていく
「不安」は、それ自体は悪いものではありません。まあ、良いものでもないのでしょうけれども。良いも悪いも、そのどちらでもなく、ただ警報機が作動していると理解すればよいのです。
その警報機は、何に反応してなっているのかと考えれば警報機を止めることができるだけでなく、前よりも良いと思える人生に変わっていくことでしょう。
まずは、その警報機が「外側」に対して鳴っているのか、「内側」に対して鳴っているのかを、じっくり自分自身に問いかけてみてください。
おそらく、最初はすべて「外側」に原因を見つけると思います。しかし、前述したとおり、現代社会においては「内側の不安」に大きくシフトしていますから、やがて「内側」だと気づけると思います。入り口として「外側」はありますが、深く考えると「内側」になっていくと思います。
最後になりますが「不安」はなくすものではありません(なくなることはありません)。共に歩んでいくお友だち、あるいは、パートナーだと理解しておく方が健全です。
「不安」は感情の深い部分に関わっていますから、今回の記事は「不安」に関するほんの一部の側面です。「不安」はサインであり、警報機であり、防衛本能であること、そして「共に歩んでいくお友だち」と理解しておくと、少しは楽になるかもしれませんということをテーマにしました。
人生は色々なことがおきますから、不安はつきものです。不安ばかりに意識を向けると、心が落ち込みますから、人生ゲームをみんなでやって楽しみましょう。
本当は深い理論があるのですが、人生ゲームを4人ぐらいでやり続けると、何かが変わりますよ。少なくても、やっている瞬間は「不安」は感じません。
「ゲームに負けるのでは・・・」みたいな不安は登場するかもしれませんが・・・。