Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の21年間の実践理論

コミュニケーションスキル④ 「言葉」

コミュニケーション

 コミュニケーションを発生させる道具の1つが「言葉」です。

 当たり前のようですが、読み落としがあるといけないので強調します。

 コミュニケーションを発生させる道具の1つが「言葉」です。

 

「言葉」は道具の1つに過ぎないということなんです。

 では、他に何があるのかといいますと、「表情」「仕草」「活動」「アイコンタクト」などなど様々ですが、これは「視覚」のお話です。

 人間には5感がありますから、他にも「味覚」「触覚」「聴覚」「嗅覚」がありますね。これらすべてにおいてコミュニケーションを発生させているのですが、多くの人はあまり自覚できていません。さらに「知覚」という領域も存在するし、五感を超えたところに存在する「第六感」という領域もあります。 

 そこで今回の記事は、言葉についてお伝えしようと思いつきました。 

 

コミュニケーションとしての「ブログの限界」

 ブログの記事を100以上書きました。

 そして、その難しさを実感しています。

 自分の伝えたいことを正確に分かりやすく伝える難しさです。

 今も、うーん、うーんと考えながら言葉を紡いでいます。

 

 ブログは「言葉」にたよりきったコミュニケーションなのです。

 そして「会話」よりも深さにおいては見劣りします。

 多くの人に同時にという「広さ」においては勝りますが、相手とのやりとりがありませんから、「ちょっと、ここが分かりにくい」とか「もう少し詳しく」なんていうやりとりが存在しないのです。まして、相手の顔も見えなければ、相手のことを知っているわけでもありません。

 やっぱり「言葉」のみが生命線なのです(たまに画像も使いますが)。

 

 ところが、先ほど説明した通り、コミュニケーションは「言葉」のみで行われるわけではありません。言葉のみで行われないコミュニケーションを言葉のみで行うところがブログの限界ということに気づいたのです

 

 あっ、だからダメだなんていうつもりはありませんよ。

 そういうものだということを理解して書くということです。

 だからこそ、言葉を丁寧に扱う ということです。

 誤解を招くような表現は慎む ということです。

 難しい表現は使わないようにする ということです。

 人を不快にするような表現は使わない ということです。

 

 そしてもう一つ、重要な事実があります。

「言葉は重要だけれども、当てにならない」という事実。

 ねっ、よく分からないでしょう。

 ピンとくる人もいるでしょうし、「なんだそれ!」と思う人もいるでしょう。

 それが私の言いたいことなのです。

 

 言葉で自分の考えがすべて伝えられるということは無理なのです。

 例え相手が分かった!と思えたとしても、それは相手の世界観の中では理解したということで、自分の世界観がそっくりそのまま見えたということにはならない。ほんの一部だけが伝わる程度でしょう。一部でも伝われば嬉しいでOKです。

 それが言葉の限界です。

 言葉は、多くの人が思っているよりも、本当は可憐なのです。

 もともと、そんなに力強くはない存在です。

 力強い言葉、優しい言葉、思いやりの言葉などなど、力強くはなれますが、気を抜くとすぐにしおれてしまう、そんな存在であると私は感じています。 

 

 だからこそ、人は言葉を学び、読書を楽しみ、大切に育てるのでしょう。

 

 言葉の学習は、人を理解しようとする試みであり、自分を理解するための道具であり、自分と他人を繋ぐための想いです。

 

 本日も、私の伝えきれない言葉を読んでいただき、ありがとうございました。

 ほんの一部でも、何かのお役に立てれば、それで十分です。

 一度に多くの人に言葉を届けられる「ブログ」って、すごいですね。