Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の21年間の実践理論

ストレスと児童虐待は新型コロナとは関係ない

ストレスと児童虐待

 新型コロナウイルスによって、どこにも出かけられない人がストレスをため込み、児童虐待に関する相談件数が4割も増えているというニュース報道を見て、以前に『児童虐待ニュースを見て考えたこと』という記事を書きました。その中で、新型コロナウイルスとストレスは別問題であり、ストレスの問題はそんなに簡単じゃないという内容を書きました。

 

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 今回は、その「そんなに簡単じゃない問題」について述べてみます。

 つまり、「ストレス」についてです。

(「ストレス」は範囲が広すぎるので、ストレスの中のひとつである「イライラ感」についてだけになります)

 

 ストレスの中のひとつである「イライラ感」は、それを出せばある程度一時しのぎとして解消されるのですが、またすぐに増えてしまうというややこしいものです。

 一時しのぎであっても、イライラ感は解消されるために、ほとんど無意識に行動に移してしまった結果が「児童虐待」だという事を、もう少し詳しくお話しします。

 コロナウイルスによる影響が長引くと予想され、GWという連休にも突入する今だからこそ、このややこしい問題を「少しでも児童虐待を減らすため」に、心を込めてお話することにします。

(もし、この記事を読んで何か感じる事があったのなら、是非、必要としている人に伝えてください。私のブログを読んでくれている人はまだ少ないので、「児童虐待を減らしたい」という私の願いを届けるには、私個人の力だけでは不十分なのです。)

 

 最初に、このややこしいお話をできるだけ分かりやすくするために、それぞれの場所について書き記しておきます。全てを読み終えたときに、もう一度、この場所に帰ってくると、より深く理解できると思います。

 

「新型コロナウイルス」は、生活に直結している社会全般の問題

「児童虐待」は、外側に起こっている現象。

「ストレス」は、内側にある眼には見えないもの。

 

1 児童虐待が生み出す「自己否定感」

 何事も原理はほとんど同じですが、何か問題だと感じたのなら、まずは「知る」という作業が必要です。「児童虐待」が子どもへの「身体的な虐待」行為だけだと思っている人は少なくなってきたと思いますが、もう一つの側面「精神的な虐待」についての理解は進んでいないとも感じています。

 

「イライラして子どもに強く叱りつけてしまう」という状態が、例え言葉だけであっても、いえ、言葉だけならなおさら「精神的な虐待行為」となります。

 そのイライラ感は、本当は子どもとは関係ないのです。

 

 例えば、子どもと家で長く過ごす時間が増えると、子どもだから色々とやります。

 それを見ているのが辛くなったとき、子どもの世話をしなくてはいけない親は、イライラ感を感じ、子どもに対してイライラした態度をとることになるでしょう。

 もし、その「イライラ感」が本当は子どもとは何ら関係がないと親が認めることができないのなら、そして、そのことを子どもに伝える事ができないのなら、子ども達は自分の親を無条件で愛しているが故に、大好きな親の反応が自分自身なのだと認識し、内在化して成長していきます。 

 子ども達は、悪いのはすべて自分であって、すべて自分の責任だと受け取り続けて成長していきます。

 その結果、何か問題があるたびに「それは自分が悪いからだ」と考えてしまうのです。

 これが自己否定感です。

 

 今、「自己肯定感」という言葉をよく目にするようになりました。

「自己肯定感」を育みたいとか、自分自身もそうなりたいというのは、親も教師も社会全体としても同じ思いでしょう。だから「自己肯定感はどうすると持てるようになるか」という情報が増えているのです。

 しかし、私がここで強く主張したいのは、「そんなに簡単じゃない」ということなのです。「これをやったら自己肯定感が持てますよ」なんて、簡単な代物ではないのです。

 

「そうであるもの」を知るためには、「そうでないもの」を知らなくてはなりません。

つまり、「自己肯定感」を知るためには「自己否定感」を知らなくては無理なのです。

「自己否定感」のことが本当に分かってくると、「自己肯定感」を持つのは、相当難しいということが分かってきます。

 

 ここまでをとりあえずまとめると、「児童虐待」が本当に危険なのは、この「自己否定感」を育てているということに尽きます。

「身体的な虐待」は、「身体」と「精神」の両方に傷を与えてしまうので、より深刻ですが、「精神的な虐待」は目に見えにくいので、そしてもっと深く追求すると、一見「精神的虐待には見えない」ことも多くあるので、本当は「身体的な虐待」よりも深刻です。

(「精神的虐待には見えない精神的虐待」については、相当難しい理解が必要なので、今回は扱いません。)

 

2 自己否定感が生み出す「投影」

「自己否定感」とは、簡単に言うと「自分はダメなんだ」という「恥ずかしさ」です。

 多くの場合、それは何かをきっかけに、子どもの頃から内在化してきた未解決の傷が呼び起こされます。内在化されているので、ほとんどが無意識ですが・・・。

 呼び起こされた傷を受け止めるなど、辛すぎてできません。

 受け止めることなど到底できないので、その深い傷を直視しないように、外側にある問題に目を向け、本当の問題から目をそらし、外側に問題があるとしてしまいます。

 これを「投影」と言います。

 

 子どもが何かをしたときに、親はイライラしてしまうという現象で考えます。

 外側にある現象に注目すれば、「子どもが○○をしたから怒ったのだ」という理論になりますが、親によって怒るポイントはみんな違うということを考えれば、自分の中にある基準によって「怒った」ということになります。

 では、その基準は何かというと、その人が持つ「深い傷」であるということです。

 

 繰り返しになりますが、「自分はダメなんだ」という自己否定感は「恥ずかしさ」と直結しています。それは未解決なまま内在化されているので「深い傷」となっています。

 それを呼び起こされるようなきっかけあると、「やっぱり自分はだめなんだ」という恥ずかしさを感じます。でもそれを受け止めるということは極めて困難であるばかりか、相当な苦しみを生み出してしまいます。

 そうして、親は、その「恥ずかしい」という気持ちを子どもにぶつけます。「投げつける」という表現の方があっているかもしれませんが、専門用語では「投影」と言っています。

 つまり、親は「子どもに悪いところがあるに違いない」と考えるしかないのです。

 

3 児童虐待を終わらせるために

 ここまで読んでくださり、ありがとうございます。もう少しで終わるので、お付き合いください。

 

 とても難しい内容の説明だったのですが、結局は繰り返しているということが分かるでしょうか。親が自分自身の持つ「自己否定感」を投影した結果、子どもに「自己否定感」を内在化させ、内在化したまま大人に成長し、今度は「投影」する側になるということを繰り返しているのです。

 

 報道の中で、つい虐待をしてしまった父親のコメントが特集されていました。

「つい、カッとなってしまって。・・・本当に子どもには申し訳ないことをしてしまった。もう、二度とこんな事が起こらないようにしたい・・・。」

 というような内容でした。

 

 先の述べたように、これは「一時しのぎ」の結果です。

 ある程度、イライラ感を出すことが出来れば、そのイライラ感は消滅するので、優しい気持ちになれるというだけです。でも、その優しい気持ちも一時的です。イライラした気持ちは再び、本人ではどうしようもなく増えてしまいます。

 その増える環境が、新型コロナウイルスの影響で整っているということなのです。

 ですから、新型コロナウイルスの影響でイライラしているのではなく、もともとあるものが出やすい環境になっているということです。だから、報道はこの2つの問題を分けて伝えていく使命感を持ってもらえると、私は嬉しいのです。

 

 児童虐待は、それをどこで終わらせるのかという問題です。

 

 長い歴史の結果であるこの問題を「自分の代で終わらせるという選択をするのか?」ということを問われているのです。もしそれを選択したのなら、それはとてもとても辛い作業になります。それは自分自身の弱さと向き合うという作業です。自分が見たくない自分を、自分の恥ずかしさを認めるという作業なんです。

 だから、そんなに簡単じゃないんです。

 

 児童虐待をしてしまった父親のコメントは、本心なのです。

 ついやってしまったし、心から反省しているし、もうやりたくないのです。

 投影した後に出てきた自分が、本当の自分なのだから、児童虐待をしたくてしている人はいないのです。もし、児童虐待をしたくてしている人がいるのなら、それはもう人ではありません。

 

 繰り返しになりますが、児童虐待をしてしまって、悩んでいる人は、本当は優しい人でありたいのです。

 優しい自分でありたいから後悔するのです。

 もちろん、児童虐待は深刻すぎるので、やってはいけないのです。

 そのことに異論はありません。

 でも、やってしまった人を責めたって、何も解決しません。

 もう、本人が自分で自分を責めていますから、他人が傷口に塩を塗ってはいけません。

 

 では、周りにいる人ができるせめてものことは何か・・・。

 それは「あなたは、あなたのままでOKだよ」と伝えることなんです。

 ※※それは「児童虐待しても良い」ということでは全くありません※※

 

 外側の問題は「もうしないようにしようね」で正解です。

 私が言いたいのは、内側へのアプローチがなければ、外側の問題は終わらないということなのです。一時しのぎをひたすら繰り返すだけです。

 だから、外側へ向いている人には「それは違うよ」で良いのですが、内側へ向いている人へは「あなたはOKなんだよ」と使い分けるが適切な表現となります。 

 

 

 「児童虐待」の問題は、本当に難しい問題です。

 たとえ法の力を借りて制限できたとしても、「精神的虐待には見えない精神的虐待」の問題が残ります。そして、実はこれが一番ややこしい。

 

 繰り返しになりますが、結局は「どこで終わらせるのか」なんです。

 そのことに立ち向かう人がいたら、手をさしのべてください。

 立ち向かうのは、とてもとても辛く、一人で乗り越えるなんて苦しすぎますから。

 

 内側に立ち向かっていない人には、手をさしのべないでください。

 それは、外側に問題があるという認識を助長してしまい終わらなくなります。外側に問題があるとしている人を責める必要もありませんが、せめて手をさしのべないのが愛情です。

 ただし、可能ならば内側へ立ち向かう勇気を与えてください。

 

 

 最後までお付き合いいただき、心より感謝します。

 ありがとうございました。