行動する仕組みの一端を、あるひとつの側面を解説します。
意識と無意識の関係、理性と感情の関係が分かるように・・・。
自分が行動するためでもいいですし、他人に動いてもらうためでもいいです。
「地球は行動の星」ですから、行動することが大切なので・・・。
お役に立てれば嬉しいです。
1 人は頭で理解する。これが意識化される。
「なるほどね。」と、頭で理解する。理屈で理解する。理論として理解する。
これは知識です。知識は使いものになりません。
理由はまだ使っていないからです。
知ったばかりのことは、経験や行動と結びつけてはじめて「智慧」となり、使いものになります。自分の能力の一部として吸収される代物です。
「よく考えて行動しよう。」というのは一般的で当たり前のようですが、多くの人は「あまり考えずに行動している」という状態です。いつも考えて行動している人などいません。考えて行動している時間に違いがあるだけで、一日を通してみれば、ほとんどの時間は考えていません。
では、いつ「たまに考えているのか」というと、意識している時です。
例えばスポーツやトレーニングで言えば、何かに注目するように意識してみる。その意識は知識を土台として成り立っているということが分かるでしょう。
例えば食事。身体に良い物を食べようと意識する、腹八分でやめておこうなどは、意識してできることであり、その意識は「良い物を食べると身体に良い」という知識、「腹八分目が健康の秘訣」という知識の上に成り立っています。
ということで、知識は必要で、頭で理解し、意識して行動してみる。それで身体の五感で納得して「智慧」に昇華する。これが人の成長と皆さんが読んでいる1つの側面です。
ところがね、「頭では分かってるんだけど、できない。」という状態が、まあよくあります。よくあるどころか、ほとんどのことはそうなっています。
「勉強した方がいいのは分かっているけど、できない。」
「運動した方がいいのは知っているけど、やっていない。」
「何かしなくちゃいけないんだけど、したくない。」
この状態を回避するために、「習慣化すればいいんだ!」という理屈があります。習慣化とは、意識しなくてもできる状態です。何も考えなくても行動できる状態です。
これは何を言っているのか。
意識化して行動し続けるのは難しいということを言っているのではないでしょうか。頭で理解することも、意識することも、共にすぐに消えてしまうような脆いものなのではないでしょうか。
2 人は感情で動く。これは無意識。
逆に考えてみますと、人は知らなくても行動しています。
頭で理解していなくても行動しています。
意識に対して無意識。そう、無意識に動いているのです。
頭で理解することが意識と繋がっているのならば、無意識は何と繋がっているのかと言うと、感情と繋がっています。
赤ちゃんを見ればよく分かるでしょう。赤ちゃんは頭で考えて行動などしていません。自分の感情の赴くままに泣いたり笑ったり、知的好奇心を自然と喚起させて探求活動をしているのです。何かを知ろうとしていますが、知ろうとするエネルギーの源は、知りたいという感情にあります。
頭では駄目だと理解していることでも、人はしてしまいます。
「食べ過ぎは駄目だって分かっているけど、食べちゃうんだよね~。」
「もう寝た方がいいんだけど、まだ寝たくないんだよね~。」
もっと分かりやすい例もあります。
親:「宿題やったの?」
子:「今やろうと思ったんだって! やる気なくなった!」
みたいな例は、よかれと思って指摘や注意をしたからといって「はいそうですか。」とはならないという現象のひとつです。
ここまでをまとめると次のようになります。
・頭で理解して意識できるが、意識の力で行動するのは難しい。
・ほとんどの時間は無意識に動いている。無意識は感情と繋がっている。
すると、自分が行動するためには意識の力を瞬間的に使って、とりあえずやってみることが大切だと言うことが分かります。そして納得して習慣化すれば行動し続けることができるということになります。
意識の力は瞬間的な力しか持ち合わせていないのです。
だから、やろうと思った瞬間が過ぎてしまえば、やっぱりやめとこ!となるわけです。この理解が重要なのです。大切なのでもう一度書きます。
意識の力は瞬間的に使う程度の力しかない。だから思い立った瞬間に行動しなければ、結局、先延ばし、先送り、そしてなかったことになる。
すると、同じように人に動いてもらうための方法も見えてきます。相手を説得しようが注意しようが、それは頭で理解してもらうということですから、たいした力はないのです。その瞬間は意識できたとしても、まあ、すぐに忘れますね。
ですから、意識できたのなら、それをある程度軌道に乗るまでは共に歩くことが必要なのです。よく「自分一人ではできないけど、誰かと一緒ならできる。」という人がいますが、それは「意識したことを行動に移すためのきっかけ」という側面と、「誰かと一緒なら意識しなくてもできる」という側面があります。
まあ、結局言っていることは「意識」というのは儚くあやうい力しかないということです。「意識」というのは、そもそもそういうものですから、あまり過信しない方がいいでしょう。
3 意識と無意識の関係
意識と無意識の総量を100としたとき、そのほとんどは無意識にあります。
人が意識できている領域は1%程度です。それ以外は無意識。
人によっては1%未満です。ほとんどの力は無意識がもっています。
このことを理解することが大切です。
そして、その無意識を操作しているのは感情です。
例えば身体。ストレスを感じたら、身体のあらゆる細胞が変化します。血流も変わりますし、ホルモンの分泌量も一斉に臨戦態勢に移行します。これを意識的にできますか?と問われれば、できないと答えるでしょう。
例えば怒り。怒らないようにしようと、普段は意識できたとしても、ふとしたきっかけで表出してしまう。そのエネルギーは無意識の中にそもそもあるからです。
例えば仕事。注意されたらやりたくなくなりますが、心から納得したらやります。その納得は頭を入り口にしてはいますが、心底納得という場合は、感情が動いたということに他なりません。だから「伝え方のハウツー本」が売れるのです。だから「人は変えられないが自分を変えることはできる」と言われているのです。だから「本人のやる気次第」と言うのです。
人以外の生命体を観察すれば、さらに明らかです。
どの生命体も無意識に動いています。無意識という言葉がイメージしにくいかもしれませんので「自然に」という言葉ならどうでしょうか。
あらゆる生命体は「自然に」動いています。人のように「何かをしなくちゃ!」と考えて行動していない。人だけが「考えて行動する」ことができる。人だけが意識という些細なきっかけを使うことができるありがたい能力を有しているのです。
まとめ
地球は行動の星です。
だから、行動することが大切な場所に、私たち人は生きているのです。
意識はたいしたことないので、きっかけとして瞬間的に活用すること。
そして無意識の力を理解すること。
今回は、そんな訳の分からない記事でした。
でも「よく分かった!」と喜んでもらえる場合もあるので、あえて書いてみました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
最後になりますが、「意識」と「無意識」は別に分かれていません。繋がっています。そしてどこまで「意識」できるかというのも、成長の1つのバロメーターにはなります。