新型コロナウイルスによる臨時休校期間が終わり、日本全国で学校再開になりました。本来、学級経営は4月にその素地の大半が作られ、ここで上手くいかなければ5月のGW明け頃に綻びが見え始め、夏休み前頃にはかなり危険な状態になりますが、今年度は新型コロナの影響で、例年とは少し様子が違うようです。
ただ、新型コロナウイルスの影響など関係なく、そもそも学級経営というのは奥が深く、そして難解です。もしかしたら、難解なことを簡単に考えようとするから悩むのかもしれません。
久しぶりに記事を書きます。このブログは「教育特化ブログ」として始めたので、久しぶりの今回は、きちんと学校教育に関係のある内容で、学級経営に悩んでいる人の為に、その仕組みと難しい理由をお伝えします。
学級経営が難しくなった理由
21年間の現場教師としての経験と実感と、様々な理論から「学級経営は一昔前よりも数段難しくなっている」と、私ははっきりと断言します。一昔前というのは、おおよそ10年ぐらいの間の事で、あきらかに変わりました。また、数段難しいというのは、昔の40人学級と今の30人学級が同じくらい難しいくらいの差があります。もしかしたら、それ以上かもしれません。
それほど難しくなったのには、いくつもの理由がきちんと存在し、そして複合的に絡み合っているため、「これが原因である」と1つだけを切り取って説明することはできませんが、あえて1つずつ、簡単にではありますが、解体して述べてみます。
理由①「学校は父性の場であるため」
いきなり聞き慣れない言葉が出てきたと思われるかもしれませんので、少し補足説明します。「父性」の反対は「母性」になります。父性も母性も愛情の種類のことを指し示しており、「父性」は父親のような愛情です。社会に適応するための厳しさや自分自身を律する心を育むことだと、簡単に理解しておけばOKです。
「母性」は母親のような愛情であり、ベストな状態は「無条件の愛」になります。子どもを全て包み込むような愛情であり、居て欲しいときに側に居る愛情ぐらいに押さえておけば、とりあえずはOKです(本当は両方とも深い内容になりますが…)。
「学校は社会の縮図」と昔から言われています。学校教育が終われば「社会人」へとなる原理から言っても、学校は「基本的に父性の場」であるということが理解できると思います。
ところが、子ども達の成長には「母性」と「父性」の両方が必要であり、順番があります。当然ですが「母性」が先で「父性」が後です。そして「父性」を受け取るためには「母性」を受けていないと難しいというのが事実です。
学級経営が難しい1つ目の理由は、この「母性」の喪失です。つまり、これまでは「父性」で学級経営を運営することが可能だったのが、今は「母性」も発揮できないと学級をまとめるのは難しいということです。
理由②「母性喪失による様々な現象が起きているから」
1つ目の理由とリンクしますが、母性の喪失による現象が様々な所に出ます。
・話を聞けない
・自己中心的
・集中力がない
・とにかく自分を見てほしい
・集団行動が苦手
・相手の気持ちが分からない…等々。
これらの現象は、子どもが持つ本来的な欲求と直結しており、満たされることで無くなります。話をたくさん聞いてもらった子は話を聞ける子になり、自己中心的な自分を発揮できた子は利他中心的な考えを持てるようになるように、満たされたことは自然とできるようになるのです。これが40人学級の運営を可能にしてきた理由にもなります。
昔から「母性喪失」の子はいたのですが、少数だったし、次に述べていく要素もなかったので、40人いても大丈夫だったのですが、今は相当厳しいというのが私の実感です。「母性」は、一人一人見るということが必須ですから、40人を一人の担任が母性を発揮して見るというのが難しいのです。おそらく、25人ぐらいまでならなんとかなりそうというのが現状でしょう。
学級経営が難しい2つ目の理由は「母性喪失による様々な現象に対応していくのが難しいから」です。
理由③「大人になることを急がせているから」
子どもは子どもらしく生きる期間が必要なのです。それを社会全体がと言った方が適切かもしれませんが、大人になることを急がせています。学校でたくさん勉強しているのに、家庭学習や宿題、そして習い事…等々。
子どもが好きなのは「怪しいもの」「汚いもの」「くだらないもの」「危なっかしいもの」と、相場が決まっています。今回はこれ以上深くは追求しませんが、子どもらしさというのは、子ども時代に存分に経験する必要があるのです。そして、子どもらしさを十分に満たされた子が、大人になろうとすると理解すればOKです。
今、社会はそれらのものを全て排除し、その存在そのものを無にしようとしています。それは一見正しいようにも見えるかもしれませんが、じわりじわりと、子ども達の心の成長を妨げているのです。
学級経営が難しい3つ目の理由は「子どもらしさの喪失」です。
理由④「仮想世界が台頭したため」
バーチャル世界の事です。具体的にはインターネット、ユーチューブ、オンラインゲームなどがあげられます。これにスマホが拍車をかけます。社会全体がその流れに乗り、「便利」という美名の元、加速度を上げているので、もう止めようがありません。しかし、心の成長には「リアル」が必須です。もっと言うと、リアルコミュニケーションがどうしても必要なのです。
仮想世界の台頭による、実在世界の喪失、これが心の成長を妨げているので、学級経営は昔のようなやりかたでは難しいと言えます。
学級経営が難しい4つ目の理由は「実在世界の喪失」です。
理由⑤「学習規律というわけの分からない理屈が台頭したから」
数年前から、この「学習規律」という言葉が流行りました。きちんと座ること、手をピンとあげること、ノートと鉛筆の置き方、靴のそろえ方、椅子の座り方など、事細かく事例を挙げ、学校全体で統一して指導するというものです。
これらの一つ一つは正しくて必要で、学級経営を追求していったときにたどり着く場所の1つであることは否定しません。しかし、そこに至るまでに存在するたくさんの理由と経験をとばしているのです。そこに至るまでにはたくさんの苦労と実践が必要なはずなのですが、それらを無視して、形だけ整えようとしたのです。
これが若手教員を育てることを邪魔したというのが私の至った結論です。仕方のない面もあることは理解していますが、学級経営というのは形ではなく、もっと人間味溢れる泥臭いドロドロしたものであるのに、サラサラし過ぎて、それを「いいね!」と周りが言い過ぎてしまったのです。
学級経営が難しい5つ目の理由は「若手教師をじっくり育てず、形だけを整えようとしているから」です。
理由⑥「感謝喪失社会になってしまったため」
日本は元々「お互い様精神」の国であり、「感謝」を大切にしてきた国だったはずなのですが、最近はかなり喪失気味です。何でもやってもらって当たり前になり、教育界はビジネス界と混同して考えられ、「お客と顧客理論」みたいになっちゃってる。
「私たちは勉強を教えてもらっている」という意識から「僕たちはやりたくもない勉強をやってあげてる」あるいは「やらされている」という意識になり、本末転倒です。
学級経営が難し6つ目の理由は「教育は国家百年の大計であることを忘れてしまっているから」です。
理由⑦「新型コロナウイルスに対応しているから」
まだたくさんありますが、今回はこれで最後にします。そして、今回私が一番言いたいことです。それは「マスク」と「密を避ける」の2つです。
誤解の無いように付け加えると、この2つは新型コロナウイルスの予防には必要です。命よりも大切なものはないので当然です。
しかし「学級経営」という視点で見たときには、明らかにマイナス要因です。なぜなら、子ども達の成長にはコミュニケーションが必要だからです。そのコミュニケーションを妨げている物が「マスク」と「ソーシャルディスタンス」ということです。
まだ、新型コロナウイルス問題が無い頃でさえ、心を病んだ子はマスクをしがちで、マスクをしていたら、相手の表情が見えにくくなり、コミュニケーションを阻害していました。それが今や、全ての子どもだけでなく、先生方もマスクです。
学級経営が難しい7つ目の理由は「ただでさえ足りていないリアルコミュニケーションの更なる減少」です。これは先生と子どもだけでなく、子ども同士の繋がりも稀薄にしてしまってます。
まとめ
学級経営は人と人との繋がりによってのみ可能になります。その繋がりは人間味溢れる繋がりです。これまでに述べてきた7点は、全てこの「繋がり」という大きなジャンルに含まれています。こうすれば上手くいくという手法もたくさんありますが、それらも結局はこの「繋がり」をどう起こすかということに集約されているはずです。
今回、私が若い先生方に伝えたいのは「学級経営は難しい」ということではありません。本当に伝えたいのは「学級経営は難しいから、いきなりうまくできなくても当然だよ。」ということであり「昔よりも圧倒的に難しくなっているから、それに取り組んでいるだけで凄いんだよ。」ということです。
そして今現在、学級経営に悩んでいるのなら、自分を責めないで欲しいということです。すぐに解決できないのは難しいからであって、あなたが無力だからではないと理解し、たとえ小さな一歩であっても、小さな前進であっても、着実に進み、素敵な先生になって欲しいという私なりのエールです。
日本人はお茶です。疲れた体に、ちょっと贅沢した高級茶を入れることで、心と身体がリラックスできるかもしれません。