Nayunayu先生 ~愛のある教室~

現場教師の24年間の実践理論

その状態になったら分からなくなる問題

感謝


 感謝のお話をします。

 通常、感謝はとてもとても有り難いことが起きた時にします。

「ありがとう!」と心から言いたくなった時とは、つまりは「有り難い」ということを心から感じたときです。ですから、プレゼントをもらったり、親切にしてもらったり、助けてもらった時など、普段あまり起こらないことに対して感謝しやすいのです。

 それは、その状態にないところを経験していないと分からない感覚です。

 でも、実は全ての出来事は感謝の対象になります。ただ、分からなくなるのです。恵まれていることを感じられないのです。

 

その状態になったら分からなくなる問題

 いくつかの例を紹介します。

 自分の帰る家がある人は、家があることに特別感は抱きません。

 食べ物が潤沢にある人は、美味しいか美味しくないかに価値をおきます。

 仕事がある人は、自分の仕事に不平・不満を言うことさえあります。

 日本に住んでいて、水道水が蛇口から出ないということはありません。

 究極的には、自分が人であるということを意識して生きていくなんてこともありません。それは、自分が人であるという事実は紛れもない事実だからです。

 

 でも、少し考えれば、どれもこれも有り難いという事実に気づくはずです。

 帰る家はあたたかく、お風呂までついているし、テレビもあるし、冷蔵庫を空ければなにかしら食べ物が入っていて、餓死するということはない状態。これは日本では普通かもしれませんが、世界全体を見渡せば、とてもとても恵まれています。

 子ども達が給食を当たり前に食べる。美味しいとか、まずいとか、自分はただの消費者であるにも関わらず、評論しながら食べるところに感謝はありません。

 失業し、収入が無くなったとき、初めて仕事があることのありがたさを感じます。自分を雇ってくれて、賃金をくれる、しかも日本の人件費は諸外国に比べれば高水準でで、やる気さえあれば、何かしらの仕事で雇ってくれる人情の国でもあります。

 電気・ガス・水道のライフラインの安全性と利便性においては、日本は世界トップクラスですし、戦争のない平和な世の中で、犯罪が少ないのも日本はトップクラスです。

 

 ですから、もう全部が本当は有り難いことであり、感謝の対象です。ただ、その状態になったら、そうではない状態が分からなくなるので、意識して見ようとしないと見えなくなり、やがて感じられなくなるということなんです。失ってみて初めてそのありがたさが分かるというのはよくある話です。

 

 空気が無くなれば、数秒で空気のありがたさに気づきますし、停電になれば電気のありがたさ、無人島に行けば家や食べ物、安全のありがたさに気づけます。無い状態が有る状態を望み、叶えられたときに感謝が芽生えるのでしょうけれども、すでにあるものに感謝することが大切なのです。

 これを逆に考えみます。

 

その状態にないから望む問題

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 人であるなら、自分が人であることは意識しません。

 男性が、自分は男性であると意識することも、女性が自分は女性であることを証明する必要はないのです。それは、誰が何と言おうとその状態であるのだから、考える必要がないのです。

 お金持ちになりたいと言う人は、お金持ちではない人です。

 美人になりたいと言う人は、美人ではない人です。

 健康な体になりたいと言う人は、健康ではない人です。

 幸せになりたいという人は、幸せではない人です。

 ただし、これらのことは、あくまで自分自身がどう感じるかということであって、すでにお金持ちなのに「もっとお金持ちになりたい」とか、すでに美人なのに「もっと美人になりたい」など、執着という概念が絡んできたときに、ややこしくなりますので、とりあえず横に置いておきます。

 また、例えば現在健康であるにも関わらず、不健康になるのではないかと感じている人は、得ると同時に失う不安に襲われている状態です。これも取り上げるとややこしくなりますため、横に置いておきます。

 今回の記事で私がお伝えしたいことは、大きく2つです。

 1つ目は、ここまで説明してきたように、その状態になったらなかなか分からなくなる恵まれた状態に意識を向ければ、たくさんの感謝が生まれるということです。

 2つ目をこれから説明します。

 

意識できなくなってしまう問題

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 ある日突然、頭痛が起きた同僚がいます。理由も分からず、1週間ほど苦しみ、病院へも行きましたが、異常は見られなかったそうです。私は心因だと思うよと伝えましたら、病院の先生にも同じようなことを言われたそうです。

 その同僚は整体にも行ってみたそうですが、そこで衝撃的な処方を聞かされたそうです。その頭痛は枕を変えたら治るという方法です。そして、実際に枕を変えてみたら、痛みが軽減し、1週間以上も苦しめた頭痛が和らいだということです。

 頭痛がひどいとき、痛みと共に不安や恐怖を感じ、せっかくの休日でも一日中ただ寝ていたそうですが、治ったら、けろっとして頭痛があったことは覚えているでしょうけれども、頭痛が治ってほしいとは願わなくなったようです。

 

 別のある日、テレビを観ていたら、無人島生活という番組をやっていました。お風呂に入れる、寝床を確保出来た、食事ができたと、いちいち感動し、感謝しています。以前に自分もその企画に挑戦したというゲストは

「その気持ち分かるな~。でも、戻ってきたら数週間で忘れちゃうんだよね~。」

と言っていました。

 

 先ほども述べましたが、その状態になったら意識できなくなるのです。よほど意識的に生きているか、感謝を習慣にするかしなければ、なかなか感謝できないのです。

 でも、失うという状態が生まれたときに、そのありがたさに気づくことができるということですから、失うという状態は感謝に気づかせてくれるということになります。

 

 1つ目にお伝えしたことは「すでにあるものに感謝すること」でしたが、2つ目にお伝えしたいことはその逆、「失われた状態にすら感謝する」ということです。

 

 そうすると、本当に全てが感謝の対象になりますし、人生が楽しくなるでしょう。ポジティブでもネガティブでもない、ただあるがままに感謝する、もし、そういう成熟した状態になれたら、その状態になったのだから、最初に戻って自分でも分からなくなってしまいますけどね。

 ただ、最初の分からなくなるという状態が感謝が出来ないのに対して、最後の分からなくなる状態は全てを自然に受け入れている状態であり、感謝し続けている状態になります。それは、かつての「感謝できなかった自分」が分からなくなるということであって、完全に戻ってループするわけではありません。 

  ※私は読んでいませんが、突き詰めて考えていくと、このような本も必要になるのでしょうね。「意識は傍観者」という言葉が気になります。