かなり前に「寝ない子」という記事を書きました。これを読み返してみると、私なりに「寝ない子=起きている時間が楽しいので、大丈夫である。」と結論づけています。そして、寝ない子に関する書籍が見つからないので、それは自分なりの結論であるということも書いていました。
最近、モンテッソーリの教育書を読んでいましたら、なんと、この寝ない子現象のことが書かれていたのを発見しました。前回の記事で書いたことでほぼ間違いはなかったのですが、より論理的にそのことが書かれていたので感銘を受けました。
そこで、同じように寝ない子現象に困惑している人がいるかもしれないので、お裾分けします。
モンテッソーリの教育
まずは、モンテッソーリの教育とは何なのかを、ごく簡単に説明します。
モンテッソーリは女性です。医学博士でもあり、教育者でもあり、「子どもの家」というものを設立します。子どもを観察することで、子どもを発見していくというのが主な研究になります。ペスタロッチ、フレーベル、ルソーに学び、自らが実践を通じて「子どもらしさを自由に発揮すれば、子どもは自ら活動する」という自然の法則を見いだすことになります。
これらの偉業が広く世界中に広まり、幼保教育の素地にもなっています。
他にも色々ありますが、それはまたの機会にして、今回の記事のテーマである「寝ない子」についてご紹介します。
寝ない子の理解
私が見つけたモンテッソーリの教育という本から抜粋します。
「教育的意味における散歩は、精神的対象物、心理的目的をもたなければなりません。 この段階では、散歩の目的は子どもを歩き回せようとするところにあるのではないことに留意しなければなりません。彼は観察や探求のために自発的に歩く観察家または探検家と見なさなければなりません。
道順を決定するものは外の環境に対する子どもの興味です。精神が興味あることに向かって動き、身体はそれについていきます。そうして、子どもの精神が身体を運ぶにつれて、子どもの身体的エネルギーはそのような散歩中に減少していくのではなく、かえって増加していくように思われます。
このようにして、そのような教育的散歩を数マイルした後でも、子どもは疲れすぎの兆候をなんら示しません。」
『モンテッソーリの教育』モンテッソーリ 著: 林信二郎・石井仁 訳 あすなろ書房
※私がもっている本がネットにありませんでしたが、この本でも同じようなことが書かれていると思われます。
モンテッソーリの観察と発見によれば、子ども(主に3才まで)とそれ以後では、全く違うということなのです。身体の仕組み、反応の仕方がまるで違うというのです。その違いが様々な幼児期の特性に直結するのですが、寝ない子もその現象の1つなのです。
だから完璧にOKだった
昔、上の娘も下の娘も、まだ幼少期だった頃に公園でたくさん遊ばせたり、たくさん運動させたり(させたりという表現が本当は違うのですが・・・)した日の夜、たいそう疲れているだろうから、今日は早く眠るだろうなと予想していたのに、ことごとくはずれました。
疲れているはずなのに、目がギラギラ輝き、全く眠ろうとしないのです。
変だな~とその当時は思っていたのですが、娘たちは精神活動を充足させた観察家、探検家であったため、疲れすぎの兆候を全く示していなかったということなのです。
ですから「たいそう疲れているだろうから」という前提がそもそも違うということになります。「たいへんな観察家と探検家を経験したのだから、今日は寝ないだろう。」が、モンテソーリ教育論から導き出される結論になるのです。
ですから、たくさんお外で遊んだりした日に、なかなかお子さんが寝ないのなら、その日の活動は、お子さんによって完璧だったので、心配しなくて大丈夫ですよ。
昔書いた記事も関連づけておきますね。
今回の記事に納得できたら、立ち寄ってみてください。